<BODY>[PR]<A HREF="http://rd.ane.yahoo.co.jp/rd?ep=RdjaW7u1UU1r13RqCt315TsnUZQyE4yzdNHOewsKr7S6X6FYhUvgnnuMhzK.u36uM70cFgt_apYWBVnroNlidvOz2sbAiMsRNJ.UsMR8x_nAcHn22ctNdMx21gMNPCxOP1h8Lm87FEOeyLNnzwNe8fPJNqdOF444btUq8mFi9gDBgNq5iehdZmiqcJWyDBCrOA--&a=_UY9IaU9lm9jGqHys7e.&s=rHQ0Uw49kWcuuA--&t=Ff14iMxhwysI&C=1&D=2&i=0&m=jp&F=0&guid=ON">あの人との相性を計算機で診断:職場のあの人、嫌いなあの人との相性も!</A><BR /><HR></BODY>
5日目 … JR全線完乗!!!
スーパービュー踊り子号
 2003年9月6日、JR全線完乗の日である。
 早朝に“山手線209系氏”宅を出て、総武本線、中央本線を乗り継いで新宿駅に向かう。
 新宿を出て、次の代々木から原宿までの一駅区間、1.6kmが最後まで残った未乗区間である。
 この区間を乗り残そうと思い立ったのは、JR全線完乗を思い立った、当にその時点である。その時はまだ高校二年生であり、JRの乗破線区も2万キロ中の千キロにも満たず、言うならば富士山登頂を志しながらまだ1合目どころか半合目辺りをウロウロしていた時分だった。その頃から既にどこでJRを完乗したいか決めていたとは、自惚れが強いものだと思うが、あれから3年半、いよいよその夢が現実のものとなるのである。

 多くの人の場合、JR全線完乗はローカル線の終端駅などに自然と帰結してしまう。それは、用もないのに鉄道に乗車する者たちにとって仕方のない事だと思うから、当然であると言える。宮脇俊三先生も足尾線 (現・わたらせ渓谷鉄道) の終点である間藤駅にて完乗を達成しているし、我がページでお馴染みの栗田郡綣村人のページの完乗人名簿を見ても、圧倒的にローカル線の末端駅などが多い。
 しかし、僕はそうはなりたくなかった。あまり前例が無いであろう未成年JR全線完乗を成し遂げるのだから、どうせなら、今までに誰もやった事のない場所で完乗してみたい。

 そこで白羽の矢を立てたのが、山手線代々木−原宿間だった。
 東京のど真ん中である。山手線である。埼京線も乗り入れているし、最近では湘南新宿ラインもこの区間を通過する。東京近辺に住む人はもとより、地方に住んでいる人でも、この区間を最後まで残すのは至難の業ではないだろうか?
 僕は中学の修学旅行で山手線の原宿以南 (品川−原宿間) を利用した事があるが (集団行動で、同じグループの女子が原宿に行きいたいと言い出したので)、それ以北は未乗であった。かと言って代々木−新宿間などを完乗予定地に選んでしまうと、中央線との乗り換えなどの点で不便な事甚だしい。旅程に支障が出る虞もある事は目に見えている。
 その点、代々木−原宿間なら利用頻度もそう高くなく、不便は不便だが何とかなりそうな気がしたのだ。

 高校2年の春、JR全線完乗と同時に決意したその目標を、僕は守った。東海道本線を上京し、東北本線や高崎線方面に抜けたい時などは、湘南新宿ラインを利用するのが最も早いが、それでは代々木−原宿間を侵してしまう。僕は必ず、東京駅を経由して東北本線や高崎線方面に行った。そのせいで、東京駅の人混みに揉まれ、乗るべき列車にギリギリでしか間に合わなくなった経験もある。

 9時33分、新宿駅3番線に池袋始発のスーパービュー踊り子53号が滑り込んできた。僕は緊張した面持ちで、初めてグリーン車というものに乗り込んだ。スーパービュー踊り子号に使用されるのは251系だが、この車輌の両端は展望席になっているのだ。伊豆急下田行きで前面となるのは1号車1番のグリーン席である。
 観光客らが多いので自分の席を確認していない人が多いのか、車内はごった返しており、ドアから最も遠い我が座席に辿り着くまでにも手間取ったが、9時35分、発車のベルは座席に座って聞く事が出来た。
 運転士はいつもと何も変わらない様子でノッチを入れる。定刻にスーパービュー踊り子53号は新宿駅ホームを離れた。

 いよいよJR全線完乗は目前である。複々線になった山手線の一番内側の線路を、南に向かって走る。代々木を過ぎ、中央線が左に分かれていく。我がスーパービュー踊り子53号は、そのまま山手線を直進しはじめた。いよいよ、最後の未乗線区に差し掛かったのだ。たった1.6kmであるから、新宿を出てから山手線の全駅を通過する特急・スーパービュー踊り子53号は、最後の未乗線区も2分程度で突っ切ってしまう。

 2003年9月6日、9時39分。
 広い前面窓に、白い皇族用ホームが見えてきた。原宿駅である。すぐに山手線原宿駅の橋上駅舎も見えてきた。
 ほんの数秒の事であった。
 山手線の通勤電車が停まっている。通過してゆく我が列車をホームから見る駅員がいる。

 旅人・碓氷峠の夏は、この瞬間を以て、JR全線19869.5kmを乗破し、大いなる目標であった『未成年JR全線完乗』を成し遂げたのであった。


横浜駅の「シウマイ弁当」
 スーパービュー踊り子53号を降りた横浜駅前で僕は、喜ぶでもなく、雑踏に身を置く事で、辛うじて何かに耐えていた。
 すごく幸せなはずなのに、何故か喜べない。

 今朝から、僕は『完乗し終えたらどこに行こう』と、そればかり考えていた。しかし、それが思い浮かばないのである。いや、思い浮かばないと言えば嘘になる。幾つも思い浮かびはするのだが、どれも決定稿……いやそれ以前の、候補にすら成り上がってこない。つまり、『どうしても今、行きたい』と思える場所が、完乗の瞬間に胸の内からすうっと消え去ったようなのである。
桜木町に係留されている帆船日本丸
 これは大変な事態であった。次に行く場所が見当たらないのである。無論、行きたい場所が山ほどあるのは言わずもがなだが、『次』行く場所、となると、話は大きく変わってきたのである。
 今までの旅は、暮夜、僕が時刻表と何時間にも亘って格闘した末に誕生した、如何に未乗路線を効率よく乗破するかだけしか考えていないものであった。その分、次はこの旅に出よう、その為には○日間の予定を空ける必要がある、それには何月何日発の周遊きっぷを取ればよい……など、事は勝手に決するのだった。
 しかし今は、どこに行ったら良いのか分からない。膝の上にずっしりとのし掛かっているのは、索引地図のJR路線が全て赤一色に染まった時刻表である。どこにも、未乗である事を示す黒色のままの路線は、もう存在しない。
江ノ電腰越駅にて
 昨日までは、新潟に行こうか、中央本線経由で美味い駅弁を尽く喰って帰るか、碓氷に行くか、色々と思いついた。しかし今は、全くどうしたらよいのか分からない。

 ともかく、我が心の師である宮脇俊三先生が26年前に先述の間藤駅で味わった気分に相当近いものである事は確かだった。これは宮脇先生も書いておられる事だが、大きなものは得たが、大きなものを失ったようである。僕が今思うに、それはもしかしたら『次』に行く場所、なのかも知れない。
 いや、もしかしたらそれは僕の思い過ごしで、あまりにも自分の行きたい場所が多すぎるだけなのかも知れない。だとしたら、自分は幸せ者だとは思う。
 少なくとも、今、この世界中に、この気持ちを寸分違わず理解出来る者などいないという事だけは確かだった。人は、一人でいつも旅している。全て旅であり、全て一人だ。生きる事ほど、一人な事はない。
この旅で使用した切符。
 まだ帰りたくはないし、帰る気にもならない。しかし、どこに行こうという宛もない。結局は、もうどこにも行けないのではないかとさえ思いだした。
 ともかく、終わったのだ。一つ目の航海の終わりはあっけなかった。どこかが腑抜けた感じだった。まだ、完乗を目前にした時の、あの緊張が解けない。3年半の間、僕を魅了し続けた完乗という目標が、こんな形で終焉を迎えるなどとは、想像しないでもなかったが、実際に感じてみて「やっぱりな」などとは思えない。そんな気分を味わううちに、この世の全てが虚像に映ってくる。
 自分は生まれ落ちた時に定められしレールの上を時刻表通りに走り、紆余曲折はあったもののそんな事は微塵も表情に出さず、一つ目の終着駅に着いただけではないのか?寡黙に走る日本の鉄道たちのように。



 京都に帰って、何回か完乗を祝う宴を開いてもらった。高校時代の友人、部活の仲間など相手は様々だったが、自分がやってきた事が何であったのかを、そうしてようやく知ったような気がする。

 未成年JR完乗。
 志を立てた時17歳の高校生だった僕が、今や成人式を4ヶ月後に控えた大学生になっている。この3年半、振り返ると全てはこの目標に終始していた。大学の入試勉強に必死の思いで取り組めたのも、『未成年』JR完乗を成し遂げる為であったかも知れない。
 ああ、僕は幸せである。こんな大きな目標を、今、達成出来たのだから!
 しかし僕には、まだまだ行くべき場所が山とある。今はまだ、一つ目の航海がやっと終わったところにすぎないのだ。この夏には沖縄に都市モノレールが開業した。戦後58年をして生まれたる沖縄の鉄路、是非乗りに行かねばならない。行ったからには、美らかな海に我が身を浸してみたい。
 沖縄だけではない。今まで車窓から見るだけだった風景を歩いてみたい。鳥海山、開聞岳、大山、利尻富士、寒風山、岩木山、由布岳など、姿形に非の打ち所のない山々には是非登ってみたいし、富士川橋梁を走る新幹線、佐多岬の夕陽、納沙布の日の出、雪の狩勝峠、神秘なる青池、茫洋たる小笠原の海など、見ずしては死んでも死にきれぬ。行程上の都合で夜にしか乗れなかった路線には改めて乗り直さねばなるまいし、手薄だった私鉄路線も順次乗破していきたい。
 人の旅とは、そう簡単に終わらぬもの、また、終わってはならぬものなのである。
 僕は旅せねばならない。僕を待っていてくれる『行くべき場所』がこの世に存在する限り。

線路は続くよどこまでも
 
線路は続くよどこまでも野を越え 山越え 谷越えて
遙かな街まで僕たちの楽しい旅の夢 つないでる
 
線路は響くよいつまでも列車の響きを追いかけて
リズムにあわせて 僕たちも楽しい旅の唄 歌おうよ
ランラランララン………


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背景 : 未成年JR完乗旅行の思い出





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