新潟を舞台にした当時のNHK朝ドラ「こころ」の宣伝ポスターが無人駅の待合所に貼られているのを見たりしているうち、10時12分、定刻に列車は小出駅に着いた。4時間12分、135.2kmの只見線の旅もこれで終わり。僕は最後の駅名看板を撮ってから、改札を出た。
小出は、信濃川の支流に当たる魚野川と、六十里越を越えてから只見線が寄り添ってきた破間川の合流地点に拓けた街で、駅は魚野川を隔てて市街地と反対側にあるので、旅行貯金に行った際に魚野川を渡った。 |
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既に、広くゆったりと流れている魚野川は、大白川の辺りで渓流にしか見えなかったあの川とは、似ても似付かない。この川はほんの10km先、越後川口で、日本最大の河川・信濃川と合流する。
旅行貯金を済ませてからスーパーに寄って買い出しをし、いつもの如くトマトや低脂肪乳を買ってから、魚野川の上で広々とした河瀬を眺めた。この辺りは冬、日本海からの北西季節風をモロに受けて毎日のような雪に見舞われ、日本有数の豪雪地帯になる事は小学時代から知っているが、それでも、眼前に広がるこの景色が雪に埋もれてしまう姿は想像できない。今日は見事な秋晴れである。 |
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小出駅に戻って、越後湯沢行きを待つ間、駅舎に展示されていた只見線沿線風景の写真を眺めた。中でも目を引いたのは昭和38年冬の大豪雪の写真だ (右上)。丸4日で客車の屋根に降り積もった雪は目測1m。凄まじいものである。この雪で、同列車の乗客373人が4日間に亘って足止めを喰らい、仕方なくこの駅で泊まったそうである。
そう言えば、先程渡った橋の袂には「流雪溝発祥の地」の碑が建っていた。無理もないだろう。聞いた話によれば、屋根の雪下ろしをしていて、ようやく全部下ろし終わったと思ったら、始めの方に下ろした部分にはもう立派に雪が積もっているという。大変な作業ではあっても、屋根の全面を下ろすのに1時間とはかからないだろうから、その積雪量が伺える。 |
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さて、上越線の鈍行水上行き車内で考えた。このまま乗っていると、列車は川端康成が「雪国」の中で描いた「国境の長いトンネル」こと清水トンネルを抜け、前後に2つのループ線を通るはずだが、その手前の越後湯沢で降りてみるのも面白い。どちらにしようか迷ったが、今回は涙を飲んでループ線を諦め、越後湯沢で途中下車する事にした。
今晩にはもう東京に着いていなければならないと言うと、今頃こんな所で途中下車しても大丈夫なのかと思われるかも知れないが、そこは新幹線を利用しようと思う。越後湯沢はこれで二回目で、前は去年の年末、ガーラ湯沢を乗りに来た際に途中下車したが、駅弁屋等しか開いておらず、仕方なく、雪が積もった駅前で融雪溝に雪を蹴落としまくっていた思い出しかない。 |
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今回の目的は、駅ビル内にある「ぽんしゅ館」だ。日本酒を、愛情と親しみを込めて呼ぶと「ぽんしゅ」。越後平野で穫れた米は、日本酒にすると淡麗辛口の美しい味わいに仕上がるので、数多くの蔵元がある。その酒を一同に会させたのがこの「ぽんしゅ館」なのだ。
まず入って驚くのは、あちこちに「泥酔して寝ている人形」がある事。右の写真の人形も、酔って「反省」をしているのである。
この奥にあるのが、酒風呂「湯の沢」。天然温泉の湯に、お酒を混ぜたお風呂は何とも贅沢なもの。早速入ってみると、脱衣場から戸を開けた瞬間にそれらしい香りがする。勿論、ホントに酒臭い訳ではないので、酒が飲めない人や子供でも安心だ。 |
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尚、4〜5人グループに是非お勧めしたいのが、完全予約制の「ジャンボいくらたらこめし」。¥4500という金額ではあるが、ホントにデカイ!その上に一杯のいくらとタラコを載せた駅弁は、この金額も納得のはず。僕は一人旅が原則なので食べる機会はなかなか無いが、機会があれば食べてみたい駅弁の一つである。
高崎からは在来線に乗り換えたが、その車内で僕は例によって熟睡してしまい、気付いたら赤羽を出たところであった。 |
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これは大きな失敗をしてしまった。実は、僕はまだ東北本線の一部である赤羽−田端間に乗っていないのだ。今ここを乗らないと、明日、予定通り完乗は成し遂げられない。しかし同時に、湘南新宿ラインの新線である大崎−西大井間や東京駅を19時17分に発車する湘南ライナー3号に乗らねばならないとの制約もある。果たして間に合うのか?
上野から赤羽まで京浜東北線で引き返して東北本線完乗。残存線区は3。
そのまま京浜東北線の大船方面行きで引き返し、新橋駅で向かいのホームにほぼ同時に停まった山手線に乗り換え。それで大崎に向かう。
これで、大崎から西大井までの湘南新宿ライン専用新線に乗れば事は済むはずだった。ところが、ここでもしくじり、乗れるはずだった列車に乗れず、次の列車を待っていては東京駅の制約に間に合わない事が発覚し、急いで予定を組み直す。品川に戻って横須賀線で西大井へ。ここで上りの湘南新宿ラインに乗り、ようやく西大井−大崎間の短絡線乗破。残存線区は2、営業キロにして17.6kmとなった。 |
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東京駅には19時少し過ぎに着いた。まだ湘南ライナーは入っていなかったが、ここから旅を共にした、山手線209系さんは既にホームの停車位置で、2人分のライナー券と駅弁を持ちながら並んでいた。
ここまで来ると、さすがに僕も緊張する。我が心の師・宮脇俊三先生は、新乗線区に乗る度に「得も言われぬゾクゾク感を感じる」と言っておられるが、僕は今まで、そこまではっきりとしたものは感じた事がなかった。勿論、鉄道に乗るのは楽しい事で、乗っている事に対して気分が高揚する事は毎度の事だけれど。 |
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乗客はそれほど多くなかった。品川の次は藤沢まで停まらないという暴走列車だと言うと、横浜はどうするのだと思われるだろう。実際に横浜駅を通過する湘南ライナーもあるのだが、この列車はそうでない。新子安付近から新横浜貨物線と呼ばれる貨物列車専用線に入り、横浜を経由せずに藤沢に至るのだ。この貨物線は東海道本線の一部という事になっており、ここが未乗なのである。
山手線209系氏と、ビールを飲みながら東京駅のあなご弁当を食べているうち、列車は長いトンネルに入った。時刻表の巻頭地図などには載っていない新横浜貨物線を通っているのである。
時刻表には載っていないが、ここに東海道本線の支線となる別路線が存在する事は、時刻表を眺めていれば分かる。時刻表の東海道本線の頁を見てみると、品川を出た後は戸塚の手前まで、東海道本線非経由となる列車がある事に気付くだろう。僕は小学校に入る前から、この路線の存在には薄々気付いており、天下の横浜駅を通らないという恐れを知らぬ列車が、どうワープして戸塚の手前でまた戻ってくるのか、地図などを捲っては想像を巡らせたものだが、実際の経路をはっきりと知るのは、高校時代になってからである。
昔話はさておき、この列車たちが通るのが、この新横浜貨物線なのだ。
新横浜貨物線は、鶴見を出た後しばらく東海道本線と併走するが、東急の生麦駅付近から分岐してトンネルに入り、これを抜けたところで横浜線の大口−菊名間をオーバークロスする。さらに長い港北トンネルに入った列車は住宅街の下を突っ切って、第三京浜道路の保土ヶ谷料金所付近にある、横浜羽沢貨物駅に到達する。ここは東海道新幹線とも接しているが、何しろ夜の為に貨物駅や新幹線の姿をよく見る事は出来ない。
再びトンネルの連続区間に入った列車は、相鉄本線の上星川駅付近をオーバークロス、猪久保トンネルという少し長いトンネルを抜けて、東海道本線の東戸塚駅付近で合流するのだ。横浜の市街地を避けて、ぐるっと山手を回るので、距離的には少し長いようであるが、神奈川西部から東京に通勤しておられる方々からすると、この路線の存在は大きいだろう。横浜から新たに乗客が乗ってこないというだけで、圧迫感も薄れる。
正に今、残存線区が2から1になろうとしているのだと思うと、高揚感を抑えきれなかったが、車窓は横浜北部の山をぶち抜いたトンネルであるから真っ暗である。
それでも、これを抜けると、いよいよ最後である。3年半の道程は成就する。そう思うと、鳩尾の辺りが痛みを帯びたように熱くなってくるのだった。 |
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20時11分、列車は藤沢に到着。新乗線区は通過区間だったので、いつ残存線区が1になったのかははっきりしなかったが、ともかく藤沢にて209系氏と握手を交わした。
209系氏の奢りで、初めて『特上』鰺の押し寿司をご馳走になる。いつもは「小鰺の押し寿司」にしか目が行かないが、いい記念になった。
宮脇俊三先生が国鉄完乗直前になさった計算を真似てみると、これで残存線区のキロ程は山手線代々木−原宿の1駅区間1.6kmのみ、乗破率は99.99195パーセントとなった。宮脇先生が『時刻表2万キロ』に記しておられる通り、ここまでくるともはやこの作業は「数字の遊びでしかない」。 |
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