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3日目 … 東北駅弁三昧
 既に旅も3日目であり、朝、寝過ごさぬかと昨夜から心配であった。
 部屋のアラームをONにし、さらに携帯のアラームも音量最大にセット。自分の事なのに、祈るような気持ちで眠ったが、いざ起きてみるとまだアラームが鳴る前であった。余程寝過ごすのが心配だったのであろう。
 それほど心配するのには訳もあり、今日、これから乗る田沢湖線は秋田新幹線こまちの走る路線であり、普通の列車は運転本数に限りがある。特に、田沢湖線の全区間を普通列車で乗り通そうとすると、僕が乗ろうとしている初電を逃せば、次は14時まで列車がない。新幹線に乗る事さえ厭わなければ、かなり朝は遅くまで眠れるのだが、僕はどうしても新幹線には乗りたくなかった。こまちに使用されているE3系には乗った事があるし、せっかく在来線として営業されているのだから、普通列車に乗ってみたい。
ホテルはくと正面の図
 風呂もトイレもなかったが、一泊\3500の値段には満足したホテルはくとを後にして、5時半、払暁の中を秋田駅に向かってこの日もスタートした。
 改築中で、防音シートに囲まれた秋田駅で青春18きっぷに捺印してもらって、5時54分発の奥羽本線、新庄行き初電に乗る。
 この列車はここから先、ずっと奥羽本線を通って山形新幹線の終点である新庄に向かう。その為軌間は狭軌であるが、併走するもう一方の路線は標準軌となっており、こちらは大曲から田沢湖線に入る、秋田新幹線用の線路となっている。新幹線は標準軌だから、こまち用車輌も標準軌であり、しかし在来線は狭軌なので、乗り入れには工夫が必要であった。
秋田駅に停車中の新庄行き初電
 3線軌条 (一本の線路に3本レールを敷き、狭軌の列車でも標準軌の列車でも走れるようにした線路) にする案もあったが、結局は複線の線路のうち、一方を標準軌に改軌し、他方を狭軌のままとする事になった。だから奥羽本線秋田−大曲間は、一見単なる複線だが、実は双方のレール幅が異なるという、珍しい路線となっているのだ。因みに、新幹線用の線路幅は1435mm、在来線用の線路幅は1067mmである。

 大曲からは田沢湖線の初電に乗り換えるが、時間があったので駅の外に出てみた。駅前広場から通勤通学客がひっきりなしに駅に入っていくところを眺め、北東北の碧霄を仰いでから駅に戻った。
 客を満載した盛岡行きは、7時1分、定刻に大曲を出発した。
盛岡駅にあった南部鉄器の大鉄瓶
 僕は運良く座れたが、こう混んでいると車窓風景に目をやるのも一苦労である。ロングシートなので窓に背を向けて座る事になり、横には当然人がいるから、外を見るにはその頭越しに見るような格好になる。横の人にしてみれば、何こっちを見ているんだ、と思わなくもないだろう。
 8時27分、盛岡に着いたが、先程から僕の横の席で眠っていた僕と同い年くらいの女の子。盛岡に着いたので起こしてあげたが、どうやら足が不自由らしい。そこで、僕に何かピンとくるものがあったのだろう。旅人の勘だろうか?僕はその子の様子を窺っていた。
 案の定、階段を上ったところで鞄を引っかき回している。切符が無いらしい事は一瞥して分かった。
盛岡駅で発車を待つ青い森鉄道700系
 階段の上り下りは一苦労だろう。僕は鉄道ファンの使命感みたいなものを憶えながら、きっと列車の中に落としたんでしょう、僕が探してきてやるからと声を掛けて、その子に僕の荷物を預けてから (20kg近くあるので、これを置かないと階段は走って上り下りもできない) 元居た列車の中に舞い戻り、座席付近を丹念に調べて、クッションと背もたれの間に挟まっていた切符を発見、その子に渡してあげる事ができた。
「何とか遅刻せずに済みそうです。」何よりであった。

 青い森鉄道700系は9時11分、盛岡駅を出発した。駅前郵便局で朝一の客として旅行貯金をしてから乗り込んだのだった。
岩手山の青き雄姿
 この列車は快速で、終点八戸まで半分くらいの途中駅を通過するが、岩手・青森県境の駅である目時や、金田一温泉も通過してしまうのが口惜しい。別に停まってくれたからといって降りる訳でもないが、気になる駅では停車して、むしろ対向待ちや追い越し待ちでもしながら長時間停車して欲しい。
 左手には数年前にも火山活動をした岩手山の雄姿を臨みつつ、水田や圃場の間をのんびり走り、いつの間にか駅に停車する。何箇所か、新幹線の線路と交わるところでは、緑の中に白いコンクリートの高架が鮮やかに浮かび上がり、その下を緩やかにくぐるのだった。
 いわて沼宮内と二戸で新幹線と接続しながら10時44分、八戸に到着した。
八戸駅始発の特急つがる
 八戸に来たのはこれで二度目だ。去年のちょうど今頃、北への大志で一度来た事がある。あの頃は、もう新幹線の工事もすっかり完成し、開業を待つばかりの状態だった。また、案内板に「青い森鉄道」という文字があったのも記憶している。東北新幹線八戸延伸線開業は、あれから2ヶ月半後の2002年12月1日の事だった。
 新幹線開業に併せて改築された駅舎はまだまだ真新しく、去年の記憶のままだった。ただ、新幹線乗換口に立っていたバリケードが外されているのだけが違った。
こまちの到着を待つはやて
 さて、僕がわざわざ八戸に来たのは、ただ新幹線の八戸−盛岡間に乗るだけの為である。と言うより、新幹線が開業したら乗りに来ようと、この周辺をわざわざ残しておいたと言った方が適当だろう。
 10分の乗り換え時間ではやて12号に乗り、盛岡を目指す。
 途中には長さ30kmを超える、陸上トンネルとしては世界最長の二戸トンネルがあり、線形は良好、乗り心地もなかなかのものだ。
 しかし、僕には席が無く、立ちっぱなしでデッキからその様子を見ていた。と言うのも、はやては全席指定席であり、もし座りたければ指定券代\310が必要となる。そうでなくても、ただ乗る為だけに新幹線を利用するという実質的な意味の無い金の使い方をしているのに、これ以上無駄金を使う訳にはいかない。
 また、IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道乗り継ぎ…つまり在来線経由なら1時間半かかった盛岡までの道程も、新幹線は40分弱で駆け抜ける。荷物さえ置ければ、40分くらい立っていても構わない。そんな経緯で立席特急券を購入したからであった。
盛岡駅に到着したこまち
 僕は、秋田に一つ心残りを置いてきた。それは右下の写真の駅弁、(はたはた)すめしだ。
 有名な「塩魚汁(しょっつる)」の材料であるこの魚は、甘露煮にしても最高に美味い。鰰すめしも、美味い駅弁ベスト50で、堂々の第4位を獲得している。日本海の海の幸の味は皆が認めるところだ。
 しかし、僕は秋田駅に21時30分に着き、翌朝6時前に出てしまったのでこの駅弁が買えなかったのだ。普通なら涙を飲んで諦めるところだが、僕はある可能性に懸ける事にした。
連結を完了し、出発を待つばかりのはやてとこまち
 車内販売である。こまちは、はやてと連結作業をするから、時刻表では2分停車となっている。その時間を利用してこまちの車内販売員を捜し出し、秋田駅で積み込んできているはずの鰰すめしを買おうという魂胆だ。
 但し、もし万が一発車に間に合わなければ次の停車駅は仙台。全てが崩れ落ちる。相当に危険な橋を渡る事になるが、鰰すめしへの情熱は僕に、そんな危険を冒しても構わないという結論を与えた。
ギリギリ買えた鰰すめし
 2時間後、僕は上り東北本線小牛田行き車内で、一ノ関駅で買ったまつたけめしを食べていた。横には、空になった鰰すめしの箱が置かれている。
 さっきの結末はあっけなかった。意気込んで列車に駆け込もうとした僕の目に、ふと車内販売のワゴンが列車から出て来るのが留まった。何と、秋田からの車内販売は盛岡で終わり、ここから先は盛岡の車内販売員が乗り込むのだ。出てきた車内販売員に「鰰すめしは売れ残っていませんか?」と訊くと、一旦は「全部売り切れました」との返事だったが、どこからか一つだけ調達してくれた。
 僕は有り難く鰰すめしを受け取り、秋田での心残りを晴らしたのだった。
一ノ関駅のまつたけめし
 鰰すめしは、柔らかい鰰の甘露煮が美味い逸品で、オリジナリティーにも富んでいたが、美味い駅弁ベスト50の第4位ほどなのかという感が無い事もない。
 一方まつたけめしは、香り豊かな松茸がしっかり弁当の主役として居座っている駅弁で、炊き込みご飯の味が美味かった。これは駅弁として素晴らしいと思う。美味い駅弁ベスト50ではランク外なのが不思議なくらいだ。
 さて、仙台、岩沼と乗り継いで、やって来たのは槻木駅。ここから、しばらくJRと別れて阿武隈急行に乗り、再びJRに合流する福島駅に向かう。
 仙台市付近は、もうすぐSuicaを導入する事に決まっているので、阿武隈急行の起点・槻木駅にも電波探知装置付きの自動改札機が設置されていた。
阿武隈川沿いに線路は走る
 しかし、阿武隈急行はローカル線というイメージの強い路線で、特に、第三セクター化後に敷かれた丸森駅以南は、終始阿武隈川に沿って走るので景観も素晴らしい。
 ここで、少し昔話をしよう。前出の丸森駅は昭和61年、福島−槻木間全通まで「丸森線」の終着駅であった。元々、福島までの路線延長計画はあったものの、国鉄再建法により工事は凍結、丸森から先は長らく未成線であった。
 しかし、その丸森まで鉄道を誘致するだけでも一苦労で、当時の丸森町長は丸森線開通の直前に突然死している。鉄道誘致の成功と多分に関係があるに違いない。土木関係の仕事は用地獲得という難しい作業があるだけに、やり遂げた際に「ホッ」と気が抜けてしまう大きさも大きいのだろう。
槻木駅の駅舎は斬新なデザインだ
……というのは僕の調査したところなどではなく、宮脇俊三先生の「線路のない時刻表」に依った。

 丸森は地図で見ると一目瞭然、阿武隈川が両側を山に挟まれた所から平野に流れ出る地点である。しかし、そのような事情から、丸森から先と後で地形は大きく変わるのに線形に大きな違いがないのが面白い。
 つまり、丸森までの平野部は、古い技術で敷かれたが平野部なのでそんなカーブは多くなく、丸森から先の山間部も、近代的な技術で敷かれたので山がせり出している部分はトンネルを多用しているからそんなカーブは多くない。結果的に、概して阿武隈急行の線形は良好である。
日本一長い駅名だった事もある
 あぶくま駅を過ぎ、長いトンネルを抜けると福島県に入る。
 福島盆地に入り、再び平野部を走り出す辺りに、鹿島臨海鉄道の「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」駅に抜かれるまで、駅名の長さ日本一を誇った「やながわ希望の森公園前」駅がある。長らく日本一だった国鉄の「岩原スキー場前」駅を抜いた、由緒ある歴史を持つ駅である。これも、苦労して鉄道誘致を勝ち取った事に対する喜びの表れであろうか?
 福島着は18時2分、JRのホームからは離れた、福島交通飯坂線との共有ホームに着いた。
夕暮れの高子駅で対向する
 福島交通は、以前は福島市内に数多くの路線を営業していたが、年々減って、僕が生まれた頃には既にこの飯坂線のみになっていた。この路線も、元は飯坂温泉への客を運んだ観光路線であったが、今では殆ど通勤通学路線になってしまっている。
 成金たちが女の子たちを連れて飯坂で豪遊した時代は終わったのだろうか?
 しかし、一昔前の単行ディーゼル時代なら雰囲気も出ようが、ステンレス製の電車ではムードも出まい。東京などで使われていた通勤型電車を払い下げて使っているに違いない。さすがに、この時間では利用客が多く、車内には立っている人も多数いた。
飯坂温泉と福島を結ぶ福島交通
 再び東北本線上り列車に乗る。福島−郡山間では眺めのよい区間が続くが、既に日は落ちていてその車窓風景に浸る事はできなかった。
 この間に、仙台で買った駅弁「鮭はらこめし」を食す。2004年から千円札の肖像に使用される事になった野口英世博士を記念するラベルのビールを飲みながら食べたが、さすがは東北を代表する駅弁、シンプルであり、且つ美味い。僕はこういう、ゴチャゴチャ余計なものが入らずに、客に食って欲しいモンだけドンと入れた駅弁が一番好きだ。調製元も、たった一品に全てを懸けられるから、美味しいものが多いのだろう。
仙台駅の鮭はらこめし
 郡山から磐越西線に乗り換えて会津若松に向かう。使われていたのは元急行用の455系。だから先頭車にはグリーン用座席もあって、勿論この列車は全車普通車でグリーン券無しに利用する事ができたから、せっかくなのでその、元グリーン席で暫しの間、豪華な気分を味わう。
 会津若松の宿は事前に何も調べていなかったので、駅前のα-1というビジネスホテルに泊まる。いよいよJR全線完乗を明後日に控え、この旅も折り返し点を迎えた事だし、少しばかり高かったが (6千円弱) 宿を探すのもしんどいので、我慢して泊まる事にした。
急行用車輌のグリーン車で会津へ


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背景 : 未成年JR完乗旅行の思い出





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