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2日目 … 海と夕陽の五能線
 この日、盛岡はあいにくの雨模様であった。いつもは朝寝坊で、一限目から大学の講義がある日などは、講義開始の20分前まで布団の中で過ごしているという僕だが、無事早朝に起床し、カプセルの中でテレビを見たりしてダラダラ過ごす。思えば、こうしてテレビを見ながら何かするというのが、大学になってからの僕の普段の生活には無い。何しろ、僕はテレビによって自分の時間を束縛される事を嫌うので、下宿にテレビを置いていないのだ。実に久し振りの感覚を味わいながら旅仕度を調え、虫かごを後にする。

 花輪線の初電はIGRいわて銀河鉄道のホームから出発した。実は、整備新幹線によって新たに新幹線を開業させると、並走している在来線は第三セクター化するという、全くバカみたいな事が決まっているらしい。
 別に、誰が経営してくれていようと僕は構わないのだが、JRと料金体系を共通させるなど、それなりの措置を取らないのが非常に腹立たしいのだ。
IGRいわて銀河鉄道盛岡駅の貼り紙
 この路線は、右上の写真に載っているように、青春18きっぷや三連休パスといったJRの企画切符では乗車できない。僕の持っているJR東日本・北海道フリーきっぷは特例的に乗る事が出来るが、これは本当に特例。殆どの場合は、ついこの間まで東北本線であり同じ料金体系で乗れたこの路線に、わざわざ別途料金を払わねばならない。
 こんなサービスの悪い事をしているから、余計に乗る人が少なくなり、結果として自分で自分の首を絞めているのである。

 ここで、整備新幹線に賛成する全ての地方自治体とJR、そして何よりこの決定を下した与党の大馬鹿者共に警告させて頂く。
花輪線ホームに停車中のキハ52
 今のような方針を続けていけば、多くの第三セクター沿線地域で育っている「マイレール意識」など、育つはずがない。JRと地方自治体は一丸となり、その線区の乗客数獲得に努めねばならないはずである。それを、別途料金徴収の口実に使おうなど笑止千万の極みである。即座に国民の代表を名乗る与党は、現在の方針を変えるべきである。また、JR及び該当する沿線地方自治体も、そんな法律など、適当な条令を作るなどして押し切ってしまうべきである。国のバカな決定に従っているなど、その者たちも同罪である。

 さらに、北陸新幹線開業時を思い出してみよう。碓氷峠は有無を言わさず廃止に追いやられ、軽井沢−篠ノ井間も新幹線と併走するからという理由で第三セクター化された。しかし、併走区間であるはずの高崎−横川間は第三セクター化されなかった。
雨に滲むガラス越しの対向列車
 理由は、この区間は沿線住民も多く黒字路線なので、JRは手放したくなかったから以外の何物でもない。こんな自分勝手な話があるだろうか?九州新幹線開業時の川内−鹿児島中央間も然りである。地方自治体に押しつけるのは赤字が見込まれる路線だけで、併走する新幹線が出来ても黒字であろう路線はJRの物のまま。本当に勝手な話であり、おかし過ぎる話である。

 この路線が第三セクター化されたのは、2002年12月1日、東北新幹線の八戸延伸に合わせてだ。JR東北本線はそれまで日本最長の営業キロを誇っていたが、これにより東京−盛岡間と八戸−青森間の二つに分断された。JRの路線で不連続区間を持つ路線は、こうして筑肥線、信越本線と合わせて3路線に増えた (現在ではここに鹿児島本線も加わっている)。
陸中花輪駅前には蒸機の動輪が
 IGRいわて銀河鉄道の盛岡駅を定刻である5時39分に発車した花輪線の初電は、雨上がりの山並みの中を西に走る。
 運転しながら平気で煙草を吸う運転士の後ろで写真を撮っていたが、この運転士、なかなかずる賢いヤツで、僕が見ている間は煙草を吸いはしても、新たに火は点けようとしない。しかし、僕が席に戻っている間にいつの間にか火を点けている。僕の視線をかなり意識している様子であった。勿論、勤務中の喫煙は禁止されている。大体、客室が禁煙なのに運転席で喫煙するとは何事か。
 しかし、僕が見ているだけでこの運転士、終点の大館までに煙草を10本は吸っていた。本当に呆れたヤツである。
大館駅の「鶏めし」
 何回か目があったが、向こうの方から視線を反らす有様であった。大体、目が合う事自体おかしな話で、前を向いて運転しているべき運転士が、何故、真後ろで写真を撮っている僕と目が合うのだろうか?
 自分が悪い事をしているのはよく自覚している様子だったので、終点である大館駅の「意見箱」に、「運転中に喫煙するとは何事か」のような感じで、しっかりと意見書を入れておいてあげた。しかし、JR東日本側からは僕が本社にメールを入れて催促するまで何の反応もなかったのである。名前・住所・電話番号など全て明記したにも拘わらず!
 何の為の「意見箱」なのだろう?因みにJR西日本は、どんな些細な事でも投函から3日以上経たずに必ず電話による返答がある。同じJRでも、これほどの違いがあるとは。尚、JR東海も東日本と同じく、催促しないと返答がない。昨日の時刻表の一件でもそうだが、JR東日本は、何か大切なところが間違っている、或いは抜けているのではなかろうか?JR東海に関しても、同じ事を思う。
大館駅前の忠犬ハチ公像
 8時27分に大館到着。大館では美味い駅弁ベスト50で堂々の第3位に輝いた「鶏めし」を購入。付け合わせのサヤインゲンに味が無いような気がしたが、鶏めしそのものは文句なしの美味さ。日本三大美味鶏の一つである比内地鶏の肉を使用しているという(他の二つは名古屋コーチンと薩摩シャモ)。
 また大館と言えば、渋谷の駅前で帰らぬ主人をいつまでも待つ事で知られた秋田犬の忠犬ノン公……もとい、忠犬ハチ公のふるさとであり(因みにノン公は柴犬雑種)、駅の至る所に銅像が建っていたり、人形が置かれていた。ハチは大館が生んだ、誰もが認める日本一の名犬であろう。
 しかし、我が心の師である宮脇俊三先生に依れば、老いたハチが渋谷の駅前でいつまでも佇んでいたのは、主人を待つ為ではなく、そんなハチ公を可愛がる駅周辺の人たちが与えるエサ(駄菓子や焼き鳥までもらっていたらしい。これらは宮脇俊三先生の「時刻表昭和史」に詳しい)の御陰という感じがあったそうだが。
寝台特急「あけぼの」の個室B寝台上段
 大館からは奥羽本線普通列車の乗り継ぎが非常に悪く、次まで待つと10時5分発になってしまうので、ここは8時39分発、上野発青森行きの寝台特急「あけぼの」に乗る。この列車は寝台特急であり、普通は特急券の他に寝台券が要るが、秋田県の羽後本荘から終点青森までの間は、立席特急券(自由席特急券と同じ価格)でB寝台に乗車する事が出来るのだ。こういう寝台特急の使用法を「昼寝」というらしい。他にも、大阪と青森・函館を結ぶ日本海や、大阪と九州を結ぶ彗星・なは・あかつき、東京と九州を結ぶ富士・さくら・はやぶさ・あさかぜ、東京と山陰を結ぶ出雲などに、この「昼寝」が認められている区間がある。勿論、認められている区間以外での立席特急券による乗車は不正乗車と見なされ、そうでなくても寝台券(最低¥6300)は必ず買わされるので注意したい。
線路脇には防雪林が植えられている
 さて、このまま寝台車に揺られていれば五能線の列車が発着する弘前まで行けるのだが、次の五能線の時間に充分な余裕がある。それに、特急は乗れば乗るほど金もかかるので、弘前の二駅前の大鰐温泉で途中下車した。大鰐温泉は、12世紀……つまり平安時代の終わりにはもう発見されていたと言われる歴史ある温泉である。
 次の列車は1時間後だというのに降りたのには訳があり、この大鰐温泉駅からは私鉄の弘南鉄道が分岐しているのだ。駅の記念スタンプを押して跨線橋を渡ると、鄙びたホームに2輌編成のステンレスカーが停まっていた。これが弘南鉄道中央弘前行きの普通列車である。尤も、この車輌は元からこの弘南鉄道が使っていたものでなく、首都圏の私鉄から払い下げられた中古車である。
弘南鉄道大鰐温泉駅
 一歩踏み出す度に、ギシギシと今にも壊れそうで不気味な音を立てる階段を下ると、横手に窓口があって駅員さんが座っていた。駅員さんとは言っても、恐らくは嘱託の方であろう。大鰐線の終点中央弘前までの硬券切符を買って390円を支払ったら「次の発車は9時20分ですからね」と、丁寧に説明してくれた。
 弘南鉄道では、各編成毎の列車に愛称名を付けているようで、快速として運用されている右上の写真の列車なら「いでゆ」、途中ですれ違った列車には「つがる」などという愛称が付いていた。しかし何故か、僕の乗った列車にはヘッドマークが無かったのである。
快速として運行される「いでゆ」号
 この時間でも30分に一本は運行されているだけあり、利用客は少なくない。昼間は一時間に一本になるが、このローカル線でよく頑張っていると思う。途中の駅でも、かなり何度も反対列車との対向を行った。
 途中、石川プール前という駅では先生と思しき女性に連れられた数人の子供たちが降車した。目の前には駅名の由来であるらしき町営の温水プールしかなかったから、そこに行くのであろう。次の石川駅には、構内に無惨な姿で廃車体が風雨に曝されていた。城南という駅では、快速も停まらないのに嘱託の駅員がいて、運転士に小包のような物を手渡していた。
途中の石川駅には廃車体の編成が……
 そうしてリンゴ畑の中を揺られるうち、車窓が少しばかり賑わって9時50分中央弘前到着。改札で記念に乗車券が欲しい旨を言うと、快く承諾してもらった。恐らくはそんな奴が多いからであろう。途中で2件旅行貯金をしながら、弘前城経由でJRの弘前駅まで歩く。
 ところで、道すがら何だか分からない実が、道の並木に付いているのを見付けた。植物をはじめ生物全般が極度に疎い僕には、これが何であるかサッパリ見当も付かない。弘前はリンゴの街であるが、まさかリンゴの一種とも思えぬ。果たしてこの実は一体???
 弘前城の堀では、多くの鯉たちが編隊を組んで泳いでいるのを見ていたが、もっとよく見てみようと柵から身を乗り出した瞬間、恐らく50匹はいるだろう鯉たちが一斉に僕の方に集まり、口を水上に突き出し始めた。
弘前城の城門 堀には、たくさんの鯉が泳いでいた
 つまりは、条件反射なのだろう。ここを通る人たちが柵から身を乗り出して鯉たちにエサをやり続けた結果、鯉たちはそういう人を見ればエサをもらえるの事だと覚えてしまった。それにしても、これほど多くの鯉たちに共通の習慣が付いていると、知らずに覗き込んだ者にとっては世にも凄まじい光景と映る。
 やはり、余裕を持ってJR弘前駅に着いたので、駅前の古本屋で宮脇俊三氏の本を探している折、偶然に沢木耕太郎の「深夜特急」を見付けて購入。6冊セットで¥600であった。しかし、それによって手持ち最後の千円札を使い切ってしまった事に気付き、慌てて駅前郵便局へ駆け込み、ギリギリのところで11時17分発の鰺ヶ沢行きに乗り込んだ。
五所川原駅に居並ぶ「走れメロス」号
 弘前の次の撫牛子(ないじょうし)は難読駅名で名高い。短い停車時間中に、駅名看板をカメラに収めた。
 ところでこの列車の始発はこの弘前だが、五能線への分岐駅は弘前ではなく弘前から二つ目の川部である。ただ、五能線の列車に川部始発若しくは川部終着というのは無い。
 この駅から五能線に入る為に、弘前方面から来た列車は方向転換を要する。約7分間の停車の後、いよいよ未乗線区中最長距離となった五能線に入った。よくよく考えてみると、3年半前にはJRの全169線区中、完乗しているのは大阪環状線と関西空港線など5線区のみという状態だった。無論、部分的に乗破している路線がなかった訳ではないが、ほんの僅かであった。而るに、よくもここまで来られたものである。
津軽五所川原駅構内に留置されていた雪かき貨車
 高校時代の通算20回にも及ぶ日帰りから始まり、卒業旅行までも動員して完乗に充てた。北への大志という10日を上回る旅も敢行した。旅先で出会った人たちは数え切れない。その人たちからは生き方、心意気、地理、歴史、様々な事を学んできた。
 それが今や163線区を乗破し、もう袋のネズミを仕留めるような状態になっている。今から思えば、この道程は短かった。

 リンゴ畑が駅や線路のすぐ側にまで広がる長閑な風景の中を30分ほど走って、12時ちょうど、五所川原に到着である。折しも、反対方向からリゾートしらかみの青池編成(後で説明する)がやって来て、弘前方面を目指していった。この列車はこれから青森まで行った後、次に僕の乗る秋田行きリゾートしらかみ2号となって戻ってくる。
 その間に、僕は津軽鉄道を乗破しようという訳だ。
未だに腕木信号機が現役だ
 津軽鉄道は、岩木川に沿って開けた津軽平野を北に向かい、太宰治の生誕地である金木を通って津軽半島のちょうど中ほどにある津軽中里を結ぶローカル線である。冬に運行される、客車の中に石炭ストーブを置いた「ストーブ列車」も有名だ。
 日本海側という事もあり、かなりの豪雪地帯なので、ポイントの上には雪覆いがされていたり、ヤードには雪かき用の貨車が留置されていたりと、雪の少ない地方の者には計り知れない、雪との戦いを垣間見る事が出来る。
 津軽鉄道の単行ディーゼル「走れメロス」号は、定刻の12時10分に津軽鉄道の津軽五所川原駅を出発した。
金木駅ではタブレットの交換風景が見られる
 線路は津軽平野の東端付近を走っているので、右手にはなだらかな津軽山地、左手には広大な水田が広がる。毘沙門という、駅名の由来に曰くのありそうな駅の辺りでは、ちょっとした森の中を通過する。森とは言え、周囲にはやはりリンゴの木が多く植えられているようで、農作業に精を出す人の横を、軽く汽笛を鳴らしながら走って行く。
 途中の津軽飯詰と金木では対向列車の待ち合わせがあったが、その際にタブレットの交換風景も目にする事が出来た。腕木式信号機、タブレット、駅の横に留置された貨車……。本当に、数十年前にタイムスリップしたかのようである。
津軽中里駅には廃車体利用の物置が
 終点の津軽中里駅には12時47分着。まずは旅行貯金をしに駅を出ようとしたが、そこで地元のおかーさんに声を掛けられ、ちょっと駅に隣接する生協で買い忘れた物を買ってくるから、その間荷物の番を頼むと言われ、暫しベンチで、本州最北の民鉄駅の味を楽しむ。
 ちょうど窓口で記念乗車券セットを売っていたので、これも何かの縁だと購入。また、窓口の前には鈴虫が飼われていた。津軽鉄道では鈴虫列車というのを走らせるからそれに因んでか、などと考えつつ、虫などは興味もないし好きでもないのに眺めていると、おかーさんが帰ってきた。見ず知らずの旅行客に荷物を預けるおかーさんの心が嬉しくなった。

 駅から10分ほどの所にある郵便局で旅行貯金をし、帰り道に雑貨屋の店先で売っていたトマトを買う。
 僕は旅の最中、一日3食(若しくはそれ以上)全て駅弁などという事をするので、ビタミン類がどうしても不足する(と思う)。そこで旅先での手軽なビタミン源としてトマトをよく食べる。面倒な皮剥きは必要もないし、喉の渇きも抑えられるからだ。
岩木山をバックに進むストーブ列車
 同じトマトでも、やはりスーパーで売っているのは格が落ちる。できれば、こういった雑貨屋や農産物即売所で売っている、まさに今朝、近くの農家で穫れましたという香のするのを買いたい。非常に安くて(大きいのが5つも入って\100とかがザラ)新鮮だし、何より手の掛かった味がして美味い。因みに、僕が旅先の心象を決定する条件の一つに、その土地で買ったトマトの味が入ると言っても過言ではないくらいだ。
 最近ではこの数日前、出雲坂根の駅で売っていたプチトマトをホームに湧き出る『延命水』で洗って食べたのが非常に美味かった。
金木駅の「夢のキャンバス号」
 さらに次の列車までの時間で駅周辺を散策してから、割と店舗面積の広い生協で、低脂肪乳1リットルとパン、それに、少し暑かったのでアイスを買う。ついでに土産物も買っておく事にした。

 帰りの列車に乗り込み、駅で洗っておいたトマトを食べながら、今度は冬、ストーブ列車の頃に来たいと考えた。尚、右上にその写真を掲げているが、これは津軽中里駅の案内板の写真を借用した物であり、決して僕が撮ったものではない。

 帰りの列車に乗り込んで津軽中里を後にした。
 金木駅の、元は貨物積み卸しホームであったと思しき留置線には、「夢のキャンバス号」なる列車が停まっていた。SMAPの香取慎吾が何かの番組の企画で、地元の子供たちと車輌にペイントしたらしい。現在は団体待合室として使用されているようだが、古びた車体に子供たちの落書きがミスマッチこの上なく、無常というか、寂しさのようなものを感じずにはいられなかった。
車輌形式表示のアップ
 そう言えば、瀬戸大橋が開通した頃まで児島付近を走っていた下津井電鉄も、廃止間際に子供たちに車体への落書きを自由に認めるサービスを行っていた。そんな事を考えているうち、津軽五所川原駅に到着した。

 津軽鉄道の津軽五所川原駅は鄙びた古めかしい駅舎で、僕が映画監督だったら一回はロケに使ってみたいと思った。記念スタンプ、手書きの発車時刻表、「津鉄文庫」という名の無料貸し本、駅長に頼めば貸してもらえるという太宰治「津軽」の英訳本。駅舎内の全てに、昭和が色濃く残っている。
 また、車庫には冬を待っているかのように、ストーブ列車の機関車が佇んでいた。客車も、夏は仕事が無くて退屈そうである。
 それにしても今や、明治どころか「昭和は遠くなりにけり」であるから、こういった風情が残っているのは喜ばしい。僕も末期ではあるが、昭和の生まれなのだ。
津軽五所川原駅に飾られていた凧
 さて、この時点で僕のデジカメは、携行していた記憶媒体(コンパクトフラッシュ)を2枚とも殆ど使い切り、もうこれ以上撮れないという状態であった。何が何でもパソコンを起動してデータを移さなければならなかったのだが、パソコンはバッテリー切れでダウン中。これはマズイ事態になったと思っていたのだが、JR五所川原駅ホームの端にコンセントを発見。人目に付きにくい場所だったので、誠に申し訳ないが盗電してパソコンを起動し、記憶媒体からデータを移送し、同時に携帯電話・MD・単三充電池などをタコ足配線にて一挙に充電した。
 旅をしていて何が困るかと言われれば、電力の補給が一番だが、この補給はかなり効いた。五所川原駅員の皆々様方、申し訳ありませんでした。
五所川原駅に入線するリゾートしらかみ
 さて五所川原駅からは、いよいよこの旅の白眉でもある、リゾートしらかみ乗車だ。
 リゾートしらかみは、五能線のクルージングトレインとしてつい最近デビューした展望型気動車列車である。あまりの好評の為、この夏にはもう一編成が増備され、それぞれ区別する為に「青池」「ぶな」という愛称名も付けられた。
 僕が乗ったのは青池編成、そして右の写真が橅編成である。基本的な内装などは同じようだが、外観は異なる部分も多く、是非次は橅編成にも乗ってみたいと思う。因みにそれぞれの名の由来は、「青池」は沿線にある十二湖の代名詞とも言うべき神秘的な湖の名、「橅」は白神山地の大部分を占めるのが橅の原生林である事からであろう。
これがリゾートしらかみ橅編成
 このリゾートしらかみは、展望性に非常に優れた列車で、まず、窓が大きい!多分、小田急相互乗り入れの特急「あさぎり」用車輌にも引けを取らないと思う。座席に座ると、膝の当たりから天井のすぐ下まで、また前の座席の背もたれから自分の座席の背もたれまで、全部窓である。こんな広さを独り占めして良いのかと思いたくなるほどで、しかも長い時間美しい海を眺められるから、気分は極上の中の極上である。

 また、中間の2・3号車は4人用簡易コンパートメントなので、友達との旅行などには是非こちらを利用したい。無論、国鉄時代からの気動車を改造したのだが、もはやその面影は全くなく、新造車のようである。デザインも現代的だ。
リゾートしらかみ青池編成。窓の大きさに注目!
 五所川原駅を出た所から、車内では津軽民謡のライブが行われる。編成先頭のサロンスペースで、地元の方が津軽三味線の演奏及び民謡の熱唱をしてくれる。3、4曲ほどだが、目の前で繰り広げられたなかなか見事な三味線の腕前に聴き入っていた。
 写真は「津軽りんご節」の演奏中である。歌声及び三味線の音は、マイクで全車輌に流される。また、この車内では全員が手拍子を打ちながら楽しんだ。

 おかーさんたちは鰺ヶ沢で早くも下車。これから、弘前方面に戻る列車の中でもう一回ライブをするのだという。忙しない話だが、効率的であるから納得はいく。また、恐らくこれはパートの仕事であり、ご家庭の事もあるだろうから、夕餉時には帰らなくてはならないのだろう。
津軽民謡のライブ!!!
 ライブの最中、つまり鰺ヶ沢までは果てしなく続く水田の真ん中を走っていたが、鰺ヶ沢の少し手前で海岸線に出る。ここから能代の手前までは、ずっとずっと海沿いを走る事になる。
 廃線指定を受けかけた歴史もある五能線だが、廃止にならなかった大きな理由に、沿線風景があまりにも素晴らしいから、観光客の誘致に成功したという点が挙げられる。このリゾートしらかみ、また、その前に走っていたノスタルジックビュートレインもそうだが、沿線の観光地や企業と提携して、積極的に観光客を沿線で途中下車をさせようと努力した。沿線には白神山地、十二湖など、未開の観光地があった事も流れに棹さし、試みは見事に成功、五能線は見事存続と相成ったのである。
海の碧さは、計り知れない……
 しかし、よく廃止にならなかったものだと思わずにはいられない。駅付近には確かに集落があるのだが、駅から1kmも走らないうちに車窓から人家は一切消え、右手には海、左手には山という構図が続く。一体どこに人が住んでいるのか心配になるほどである。
 だが、こうして現在まで存続したのは勿論観光客のおかげもあろうが、地元の方々が利用しているからに他ならない。
 今日は風もなく、夕暮れ時という事もあって海は夕凪、殆ど波などなかったが、冬の荒海というイメージの強い日本海の、こういった姿もまた良いものだと思った。
海岸線に沿って漁師小屋が並ぶ
 去年の夏乗った土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線も素晴らしい海の眺めだったが、あっちは単調な海岸線をひたすらまっすぐ走るという感じで、また、開業してから僅か一ヶ月だったから、殆どローカル色は感じられなかった。
 だが、こっちは根っからの超ローカル線だ。出入りの激しい海岸線に沿ってカーブを描き、4輌編成のディーゼルが走る……絵になる事この上ない。
 ちょっと海岸線を離れたかな、と思っても、(ひな)びた小さな駅を通過すると眼前に輝く水面が開け、再び大海原の根際ねきまでせり出すように走る。
輝く海に向かって延びる二本のレール
 地形的に考えると、これは海岸線ギリギリまで山がせり出しており、線路を敷ける場所がそもそも海岸線以外になく、集落付近では逆に海辺に多くの家が建ち並んでいるので、一旦海から遠ざからねばならずこのような線形になるのだろう。

 ところで白神という地名は、聞いた事のある方も多いのではなかろうか。
 この辺りは、観光客の誘致は進んでいるものの、元々住んでいる人が少ないので未だに原生林も多く残っている。そこで、そのブナの原生林が世界遺産に指定されている。駅名にも「あきた白神」「白神岳登山口」というのがあるが、まさにこの辺り一帯が世界遺産である。しかし、白神岳への登山道などは整備されているものの、世界遺産域内への道は殆ど皆無に等しく、これからも自然は保持されていくものと思われる。
草原の向こうには果てしない海が広がる
 僕が橋好きなのは、僕の紀行文をいくつか読んでもらえれば分かる事だが、もう一つ人工の建造物で好きなものがある。風車だ。
 風車と言っても、別にオランダにあるようなヤツでなく、風力発電用の白いプロペラである。
 この辺りは、季節風が強いのか地方自治体が積極的なのか、多くの巨大な風力発電機がそそり立っていた。特に印象的だったのは鰺ヶ沢を出た辺りの所にある風車。すぐ根元を通った時は、その高さに、思わず広い窓から見上げてしまったし、それから20分ほどして千畳敷の近くを通った時も、海の向こうにその勇姿を見る事ができた。岬に立っているので、かなり遠くからでも望めるのだった。
単調だが、美しすぎる風景が続く
 五能線は、艫作へなし風合瀬かそせ驫木とどろきといった難読駅名の宝庫でもあり、車窓から目が離せない。因みに解字をしておくと、「艫」は船尾を意味する「とも」、「驫」は数多くの馬が轟々と走っている様を示す。どれも海に関する地名である事は間違いなく、特に風合瀬や驫木は、風の強い場所に相応しい地名である。この辺りは、冬の季節風をまともに受ける地方だ。

 車中、仕事を休んでこの列車に乗る為だけに能代から来たのだというOLの方と、東京からこの辺り一帯を見に来たおじさんに出会い、打ち解けあった。
 OLさんは、やはり能代に住んでいても乗ろうと思わないと五能線には乗る機会がない、でも景色が綺麗なので今日は来た甲斐があったと言ったが、おじさんの方は、以前五能線に沿った国道をツーリングした事があり「眺めとしては道から見た方がいい」と、辛口の意見であった。
遮られた日光が、見事な景観を作り出した
 これで美味い酒でも飲んで、肴に舌鼓を打てればもう言う事無しなのだが、あいにく酒など買っていないし、さてどうしたものか、深浦の長時間停車の間に駅前の店かどこかで買おうか、とまで考えたが、全くの杞憂だった。
 車内で右の写真のような、その名も「晩酌セット」が売られていたのである。
 さすがに、ワゴンサービスで売られているという訳ではないが、車内にある申し込みチケットに必要事項を記入して鰺ヶ沢到着までに車掌に渡しておけば、あきた白神駅到着時に積み込んで席まで持ってきてもらえる。
 暮れゆく日本海を見ながらの晩酌、僕は途中でビールと駅弁の『帆立釜めし』も追加し、極上のトワイライトタイムを堪能したのだった。もう「言う事なし!」である。
これぞ晩酌セット。酒はかなり辛口だったが、料理によく合った
 17時57分着の東能代から奥羽本線に入り、18時48分、秋田の3駅手前の追分着。僕はここで降車した。
 このまま乗っていれば今夜泊予定の秋田まで運んでくれるのだが、その前にもう一つ片付けなければならない路線がある。

 18時52分発のディーゼルカーは、ローカル線としては不似合いな5輌という長い編成で追分駅を出た。行き先は男鹿だ。これで『おが』と読む。
男鹿駅に降り立つと、なまはげが出迎えてくれた
 関西地方で『おが』と言えばカメムシを指すので、僕は小学校低学年の時、時刻表に上野と秋田を結ぶ寝台急行で『おが』という愛称名の列車が載っているのを見て「なんという名前を付けるのだろう、こんな名前の列車には決して乗るまい」と考えたものだったが、その列車名の由来になったのがこの地名だったのだ。

 もうすっかり日が暮れていて殆ど外は見えなかったが、出戸浜駅付近では海側の窓に顔を近付けて漁火でも見えないかと目を皿のようにし、天王駅から船越駅の間では八郎潟干拓地の水位を調節する為の船越水道を越える鉄橋から真っ暗な水田地帯を見、ここに数十年前までは日本で二番目に大きい湖があったのかと思いを馳せた。
数少なくなった、駅員の居る夜の田舎駅
 男鹿は、正月十五日の夜に鬼の仮面を付けた男たちが家々を回り歩く「なまはげ」で有名なのだが、この行事、たしか子供の健全な成長を願うという意味があるのか、よくニュースには、泣きわめく子供をなまはげ姿の男が抱き上げているシーンがよく取り上げられる。鬼の面に蓑を着て木製とはいえ刀を振り回しているのだから、子供にしてみれば怖くない訳がない。何とも災難な行事ではあるが、大切な伝統であるとも思う。

 男鹿駅で一時間ほど居て、折り返しの列車に乗り、秋田着21時30分。
 この日は秋田市内の某ホテルで一泊した。この宿は高校時代、書店であらゆる旅行雑誌を読みながら将来の旅の計画を練っていた時、全ての雑誌の中に載っていた中で秋田一安いホテルとして知り、その時から秋田に泊まるならこの宿だと決めていたのだった。
 今でもその値段は変わっておらず、僕は迷わずに宿泊する事を決めた。
 内風呂は無いが大浴場があり、例によって誰も風呂場にいないと見るや歌を歌ったりして、一日の疲れを取った。
 残量を心配していた電池もここで充電。テレビを見ながらパソコンを叩き、夜半過ぎに寝た。
なまはげは男鹿市の有名行事だ


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背景 : 未成年JR完乗旅行の思い出





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