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住吉7:47
東海道本線・山陽本線
快速
西明石8:20
8:30
山陽本線
新快速
姫路8:50
9:02
山陽本線
岡山10:26
10:41
本四備讃線・予讃線
高松11:39
11:51
高徳線
特急
うずしお9号
徳島12:46
13:08
牟岐線
阿南13:48
14:19
牟岐線
牟岐15:52
16:00
牟岐線
海部16:16
16:21
阿佐海岸鉄道
甲浦16:32
甲浦駅前16:33
徳島バス
牟岐駅前17:11
牟岐17:29
牟岐線・鳴門線
鳴門20:49
21:06
鳴門線・高徳線
徳島21:44
22:14
高徳線・徳島線
阿波池田23:53
0:41
土讃線・山陽本線
快速
ムーンライト高知
京都6:19
6:33
奈良線
東福寺6:35
6:41
京阪本線・鴨東線
出町柳6:52
朝……フェリーから降りて
 方針は固まった。これは、自らの野望を完遂する為に無くてはならぬ旅であるから、致し方ない。
 4月1日、雨の降る中、僕を乗せた西大分港昨晩18時40分発のフェリーは、約12時間の船旅を終えて、無事、六甲アイランドに着岸した。
 さて、まずはなぜ、普段は鉄道のみの旅しかしない僕が、フェリーで大分から帰ってきたのかを説明せねばなるまい。
 この日は、部活の大分からの合宿帰りで、部活の皆さんと一緒だったのだ。昨夏の全国公や七帝のように、それでも別行動を取る時は取るのだが、今回は大人しくフェリーにした。勿論、これ以上の細かい理由までは述べないが。

 そんな訳で、不覚にもデジカメを持っておらず、5日間の合宿帰りなので荷物も相当のもの。疲れもあったのだが、これから旅に出られるという喜びは、そんな疲れを一気に払拭してくれるものであった。
 今回の旅は、本来なら、夜23:27のムーンライト高知で京都を発ち、早朝の阿波池田で降りて、次の日一日かけて徳島線から鳴門線、南に下がって牟岐線、阿佐海岸鉄道、引き返して高徳線にこの順で乗り、マリンライナーの展望グリーン席を奮発してJR四国完乗をささやかに祝い、日付が変わったくらいの京都に着くという予定であった。
 だが、せっかく神戸まで来ているのだから、今から行けばよいと、JR住吉駅前で部の皆さんと別れ、一人、下りの東海道本線ホームに向かったのであった。

 因みに、行きはこのJR住吉駅から、六甲ライナーに乗り換えて、フェリー乗り場までのバスが出ているアイランド北口に向かった。六甲アイランドに立つのはこれが初めての事で、六甲ライナーもこれが初めて。本来なら、終点のマリンパーク駅まで一旦行ってからアイランド北口で降りたかったが、何しろ部の仲間と一緒だった事もあり、まさか友人を僕の道楽に付き合わせる訳にはいかない。それくらいの分別は僕にもある。

 とにかく一番に来た列車に乗ろうと思っていたが、うまく快速が来てくれたので乗り込む。7時47分住吉発の、東海道本線下り快速でスタート。朝の通勤時間帯で、背広やら制服が殆どの中、部活のジャージにドラムバッグを提げた僕は、時刻表をひたすら繰り、今日の予定を組んだ。どうやら、高徳線は特急に乗らざるを得なければならないようだ。今日もいつに変わらぬ青春18きっぷのケチケチ旅だから、特急にはなるべく乗りたくないのだが、仕方ない。
ひっぱりだこ飯
ひっぱりだこ飯の器
 西明石で途中下車した。これは、今乗っていた快速が途中で後発の新快速に抜かれるので、それに乗り換える為だが、もう一つ目的がある。
『ひっぱりだこ飯』だ。
 以前から、是非食べてみたいと思っていた駅弁だが、今回やっと食べられる事になった。ちゃんと陶器の器に入った駅弁で、売り出されたきっかけは1998年4月5日の明石海峡大橋開通だ。明石の名物駅弁として、以来、その面白いネーミングで結構売れている。
 さすがに、通勤時間帯の駅やら車内で食べる訳にもいかず、買ったまま袋に入れて、8時30分発車の新快速で姫路を目指す。
ひっぱりだこ飯の器
 姫路からは、山陽本線で最も表定速度の遅い区間を走る。相生−岡山間は、車窓風景もそれまでとは一転、山の中となり、67.9kmの区間を走破するのに、実に1時間5分を要する。表定速度はたったの62.7km/hだ。米原−姫路間の新快速の表定速度が約80km/hだから、雲泥の差である。

 姫路−岡山間は、快速すらもないから、特急に乗らない限りは各停で行くしかない。そもそも、1時間に一本しか直通列車が無いから、快速を望むのが間違っているのだが。
 車内でひっぱりだこ飯を食べる。タコの入った炊き込みご飯の上には、タコの旨煮と穴子のしぐれ煮が。どちらも明石の名物である。また楽しみなのが、ご飯の中のどこかに埋もれているタコのすり身の天ぷら。どこに隠れているかは食べてからのお楽しみ。因みに僕の場合は、相当底に近い所に埋もれていたので、なかなか発見できなかった。
 大きさの割に値段がそこそこする (¥980) だけあって、美味かったのは美味かったが、ボリュームが全然足りなかった。
3度目の四国へ
 岡山に着いて、また駅弁を買い求める。美味い駅弁ベスト50で19位にランクインした、『塗箱祭ずし』(¥1250) と、同じく35位の『まんま借り借りままかり鮨』(¥700) だ。
 今喰ったばかりだろ!とかいうツッコミは無しにして頂きたい。ここまでしてとにかく買うのには理由があって、これから先に巡る駅では、駅弁を買えそうにないからだ。ここで買っておかないと、先で空腹感絶頂のまま旅を続けねばならなくなる。それほどひもじい事はない。
 そんな大義名分の元に駅弁を2つ買ったのだが、マリンライナーに乗り込み、瀬戸大橋を渡る頃になると、ひっぱりだこ飯のボリューム不足も相まって小腹が減ってきた。ままかり鮨の方は、一食分にはかなり足りない量だが、おやつにはちょうど良い量である。瀬戸内海を見ながら瀬戸内海の幸を食すなんて、なかなかの贅沢だ…と、ここで『まんま借り借りままかり鮨』を食べる。
 マリンライナーはクロスシートだから、食べるのにそれほど気兼ねは要らないのだが、さすがに隣に座っている人には悪い気もした。しかし、こっちはジャージにドラムバッグという恰好でも旅の最中なのだから、これくらいのわがままは通させて頂きたい。
まんま借り借りままかり鮨
 高松に着き、不本意ではあるが仕方ないので特急に乗り換える。岡山発の徳島行き特急『うずしお』だ。2000系の4輌編成から成る列車は、一旦高松駅で進行方向を転換する。高松駅は、宇高連絡船時代の名残で、未だに駅は海に向かって突き出したような形になっており、つまり、行き止まり式の駅になっており、予讃線から高徳線に降り入れる列車は、方向転換しなくてはならないのだ。
 方向転換も、極めてスピーディーに行われ、たった2分で折り返し出発となる。JR四国の振り子式特急で運行されるうずしおは、乗り心地も良く、あっという間に徳島に着いた。

海の見えないシーサイドライン
 駅ビルで時間をつぶしてから、13時8分発の阿南行きで出発。キハ58の2輌編成であるが、この編成は数年前まで徳島線の急行『よしの川』に使用されていたものだと思われる。急行用車輌を普通に使うとは贅沢な、と思われるかも知れないが、これは地方路線ではよくある事で、と言うよりも、普通列車よりは停車駅を減らして運転するので、少しは別にお金を頂戴よ、というのが急行列車であると考えるのが最も適切かも知れない。

 4人用のボックスシートは、旅の雰囲気を味わうには最適なシートである。向かいや隣に腰を下ろす人と、最も話がしやすいからだ。2人掛けのクロスシートやロングシートでは、どこかに話しかけづらい雰囲気が漂う。

 徳島を出て三つ目の中田(ちゅうでん)からは、十年ほど前まで小松島線が分岐していた。国鉄では日本一短い路線で、二駅区間約2.1kmであった。営業キロなのに『約』を付したのには理由があり、終着となっていた小松島港駅は臨時昇降場で、正式な駅とは認定されておらず、依って営業キロも正確なところは分からないからだ。2.1kmの数字は、国土地理院発行の25000分の1地図から読み取った値である。

 線路は地図を見る限りでは、かなり海に近いところを走るのだが、車窓に望む事は出来ない。牟岐線には「阿波室戸シーサイドライン」という愛称名が付けられているのに、見えそうで見えないところで()らされるとは。
 牟岐線最大の中間駅であり、この列車の終着駅でもある阿南まで、結局海が望める場所は一箇所も無かった。

 「最大の中間駅」とは書いたが、阿南の人口は6万人弱。昼下がりではあるし、駅前にもさほどの活況は感じられなかった。しかし駅は有人で、記念にと瀬戸大橋開通15周年記念のオレンジカードを買った。
 時間はたっぷりあるので駅員さんに教えてもらった駅前のスーパーで食料や飲料を調達。小雨は降っていたが、傘は要らないくらいのものであった。そうこうしているうち30分は経ち、徳島始発の牟岐行きに乗り込む。

 途中の由岐で20分以上の停車。この時間を利用して駅前に出るが、はっきり言って何もない。仕方なく、近くにあった由岐町の役場に行き、町報をもらって帰った。題字の『ゆき』という文字が町内の小学生の書道作品である事がなかなか良い味を出している。
 対向列車も予定通りの時間にやってきて、再び列車は南を目指して走る。

阿佐線への夢を抱いて
 さて、この由岐と次の木岐の間にあるのが臨時昇降場の「田井ノ浜」駅だ。ここで、短い間ではあるが線路は美しい砂浜に沿って走る。今日は小雨の降る生憎の空模様だが、もうすぐ来る海水浴シーズン中の海の色は最高だろう。結局、この区間が牟岐線唯一の眺望ポイントなのだ。間もなくして、線路は再び右にカーブして海岸線から離れる。全く、シーサイドラインでありながらこれほど短い時間しか海を楽しませないとは、いい根性である。
 しかし、国道はこの区間も海に沿って走るので良い景色が楽しめるようである。特に、途中の日和佐海岸はウミガメの産卵で有名な場所である。とは書いているものの、鉄道からは今も書いたように、ほんの僅かしか海を見る事はできない。

 降ったり止んだりの鬱陶しい天候の中、牟岐に着く。ここは、昭和48年までは牟岐線の終着駅であった。
 当時はまだ、国鉄再建法の公布前で、ここ牟岐を通って現在のJRの終端である海部、さらに阿佐海岸鉄道の終端である甲浦(かんのうら)、そして室戸岬をぐるっと回って奈半利、安芸などを通り、後免に達する阿佐線の工事が行われていた。勿論、着工区間は東半分が甲浦まで、西半分は全くの手つかずであったが。
 しかし、昨年 (2002年) 夏、阿佐線の西半分の約60%に当たる奈半利まで、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線開通が開業した。これで、阿佐線への期待は再び膨らみつつある。四国の海岸線の中で、鉄道が走っていないのは室戸岬だけであると言っても過言ではない。甲浦から室戸を回って奈半利まで、地図で測ると約53km。ここに鉄道が敷設される日は来るのだろうか?昨年の夏、奈半利駅でも同じ事を考えたが、今回はさらにその日が来る事を切に祈った。

阿佐海岸鉄道
 8分乗り換えで牟岐からさらに南下。線形はぐっと良くなり、高架橋から左手に海を見ながら走る。やはり、昭和40年代後半の開通区間は、土木技術の向上とスピードアップの必要性から、線形の良い区間が多い。しかし、ようやく海が見えたのも束の間、途中からはトンネルの連続となり、16分でJRの終点海部に着く。ちょうど向こうから、これから乗る阿佐海岸鉄道のディーゼルがホームに入線してきたところだ。
 ここから先は先述の通り、阿佐海岸鉄道が高知県の甲浦まで延びているが、その阿佐海岸鉄道が開通するまでは、約20年間海部が終着駅だった。

 高架になった駅舎は無人ではあるが、構内は複線になっていて、二本ある対向式ホームをJRと阿佐海岸鉄道が一本ずつ使っている。線路は当然の如くつながっていて、相互乗り入れも可能になっており、一日に2往復の直通列車も設定されている。互いの会社どうし、料金の徴収は列車内で行われるので、駅には自動券売機も無い代わりに、互いのホームを自由に行き来できるようになっている。
 こんな例は結構珍しい。大抵、国鉄時代に計画倒れとなって最近開通した路線では、やはり、国鉄に見捨てられたという思いからその会社とJRとの関係が不和な場合が多く、時刻表ヅラでは仲良さそうに見えても、実際に行ってみると、線路が途切れていて相互乗り入れは物理的にできなくなっていたり、駅舎すら別の建物を使っている例が数多く見受けられる。

 ここからは青春18きっぷが通用しないので、僕も整理券を取って、阿佐海岸鉄道の単行ディーゼルに乗り換える。「しおかぜ」という愛称名の付いたASA-101型ディーゼルは、お世辞にも多いとは言えない乗客を乗せて走り出した。
 阿佐海岸鉄道は、僕が時刻表に興味を持ち始めた頃に走っていた記憶はないから、つい最近開通したものだとばかり思っていたら、この車輌には「平成4年新潟鐵工所製造」のプレートが貼ってあった。阿佐海岸鉄道はこの車輌一輌のみで経営を行っているから、この車輌が製造されたのは開業とほぼ同時期という事になり、つまり、最近だと思っていた阿佐海岸鉄道の開業も、もう10年前の事なのだと痛感した。

乗車所感
 車内は簡易型転換式クロスシートであり、車端はロングシートになっているという典型的な現代風のローカルディーゼルカーである。マイレール意識が定着しているのか、車内は製造から10年が経ったとは思えない美しさを保っていた。
 利用客一人一人の心がけが…というよりも、それによってしか、快適な鉄道というものは実現しない。よく、特急列車ならまだしも、普通の列車に、平気でビール缶やゴミ屑を置いていくヤツを見かけるが、一体どういう神経なのかと思う。つまりは、タクシーを降りる時に後部座席に飲み終えた缶や食い切った菓子の袋を置いていくのと同じ事をしているのであるから。

 海には近く、要所でその美しさに触れる事ができるが、かなりトンネルの連続した区間であり、その分線路規格は良好なのだが、落ち着いて海を眺めるという事ができない。
 途中駅は宍喰駅ただ一つ。営業キロはたったの8.5kmという短い鉄道だが、徳島・高知の両県にまたがり、将来の阿波線の一端を担うかも知れないと考えると、大きな仕事をしている路線である。現に、路線の名前も阿佐『東』線としているから、その意気は素晴らしいものである。

 その唯一の途中駅、宍喰駅前には、かの、野球殿堂入りした上田利治氏の母校があった。野球のバックネットに高々と掲げられた横断幕は、今も上田氏の後を継ぐ者を待っているかのようであった。
 宍喰からはカーブを通った記憶がない。トンネルで、海岸線に張り出した隆起台地を貫いているからだろう。海部から11分、あっという間の阿佐東線乗車であった。
 去年の夏の奈半利駅同様、もっと延びたくてしようがないという風にプッツリと途切れた甲浦駅の高架を見ながら、このディーゼルが室戸岬を通って土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線と結ばれ、国鉄時代の阿波線構想が遂に現実のものとなった線路を走れる日が来るのか、来たとしてもそれは遠い未来なのかと思った。

 さて、車中、僕は一人の女性と知り合った。30手前と思しきその方は、これから父親の迎えの車で甲浦から帰宅するという。駅前には、そろそろ時間なのにまだバスが停まっていないと僕が言うと、「もし来なかったらうちに泊まっていきなさい」とまで言って下さった親切な方である。
 僕が阿波線の事について訊くと、やはり国鉄時代にはちゃんとした計画があったようである。用地交渉の打診も行われたらしい。勿論、阿波線は完全な未成線なので打診の段階で国鉄再建法施行となった訳だが、阿波線計画は机上の空論ではなかった事を改めて感じた。

一人きりの路線バスにて
 予定より10分近く遅れてバスがやって来た。「ほら、乗り遅れないようにね」と、母親のように僕を見送ってくれたその方と別れ、僕はバスにて再び牟岐駅を目指した。

 今回の旅の中で、この阿佐海岸鉄道乗車はするか否かでだいぶ迷った点だ。どうせ特急には乗らねばならなかったのだが、阿佐海岸鉄道に乗車しなければ乗車区間を短縮でき、その分経費が安くて済む。しかし、どうせ阿佐海岸鉄道にも乗る日が来るだろうし、わざわざやって来るよりは、今乗っておいた方が安上がりに決まっている。
 しかし、鉄道だけを利用しようとすると、どうしても巧くいかない。5000円ほど特急に投資しても、もう一歩のところでどうしても間に合わないのだ。
 一時はタクシー利用という邪道も考えた。しかし、財布の中身に愕然としてそれもボツ。そこで諦めかけて時刻表の索引地図をふと見た瞬間、一条の光が差し込んだのだった。
 甲浦駅から牟岐駅の間には、徳島南部バスの路線が走っている。これだ。
 運良く、ちょうど良い時間にバスがあるが、しかし、甲浦での待ち時間は僅か一分。接続が良すぎる。万が一『駅前』バス停とは言いながら、駅から徒歩5分とかの所にしかバス停がなかったら、その時点で今夜のムーンライト高知は乗車不可になってしまう。何としても今夜のムーンライトに乗らなくてはならない。
 しかし実際は、駅前バス停というのは本当に駅前広場にあったし、さらにバスが10分遅れてくれた事もあって、阿佐海岸鉄道乗破の余韻も楽しめたし、ちょうどよかった。

 バスの乗客は甲浦から牟岐までの全区間に於いて僕一人であった。という事は、僕という気まぐれな旅行者が乗っていなかったら、このバスは完全に運転士さん一人であった事になる。と言うよりも、普段はもしかしたら、本当にごくたまにしか利用客がないのかも知れない。
 バスは、海の見える道路を牟岐に向かって走る。海部までは阿佐海岸鉄道沿いのルートを取るので、今通ってきた線路を端から眺める事ができた。宍喰駅への途中には、道路橋の欄干に、直径1mはあろうかというカモメの頭の飾りが付いていて、思わず笑ってしまった。

JR四国完乗へ
 このバスの終着・牟岐駅でバスを降り、椰子科の、背の高い樹の植えられた駅前を見てから、側にあったスーパーで食料を調達。もう明日の朝まで、コンビニや駅の売店以外での食料調達は不可能であろうから、しっかり買っておいた。
 旅の最中、食料調達で最も重宝するのはやはりスーパーだ。コンビニや駅の売店は割高…と言おうか、『割』どころではなく高いので、僕は深夜以外殆ど利用しない。一番良いのは商店街の店で、やはり安さも新鮮さも素晴らしいのだが、開いている時間帯には行けない事が多いので、旅中にはあまり利用できた事がない。

 四国全線完乗も目前なので、少しは奮発したいところだが、今日は特急に乗ったりバスに乗ったりして出費を被っているので、半額のパンやジュース (これも、1リットルパック以外は割高なので買わない) を購入してホームに向かう。雨はまだ、しびしびと降り続いていた。
 牟岐発17時29分発の普通列車は、有難い事に鳴門線直通である。途中、徳島駅で30分以上の長時間停車があるが、駅前をぶらつくのにちょうど良い時間である。それに、牟岐から鳴門まで3時間以上の道程をずっと座りっぱなしというのは、少ししんどい気もするから、これくらいがちょうど良いかも知れない。
 車中は殆ど眠っていたし、起きたら陽が落ちていたので、何も書くべき事がない。徳島での長時間停車は、ちょうどバイト先の会社から電話が掛かってきたので、その応対をしているうちに過ぎてしまった。
 鳴門線という線名だから、鳴門海峡の近くまで行くのかと言えば、7km程手前までしか行かない。これでは観光用に乗って下さいとも言えず、観光客は乗らないだろう。ただ、終点鳴門駅の一つ手前にある撫養(むや)駅は、難読駅名として名高い。

 20時49分、終点の鳴門に着いたが、雨降る無人の終着駅ではテンションも上がらない。駅の外には出てみたものの、早々と引き返して今乗ってきたばかりの列車に再び乗り込んだ。

 引き返した徳島駅で再び30分待ちの後、徳島線で阿波池田に向かった。車中はずっと眠っていたので、阿波池田の一駅手前にある佃という駅で目出度くJR四国全線完乗となったはずだが、気が付けば阿波池田駅に到着していた。
 JR旅客6社中、保有路線の営業キロ数が最も短く、会社の規模が小さいJR四国ではあるが、一つの区切りである瞬間には違いないので、眠りながらその瞬間を迎えた事には多少気が咎めたが、今更どうしようもない。

 阿波池田の駅前には、薄暗いバーの灯りがポツリポツリと点っているだけで、街全体が静寂に包み込まれていた。土讃線と徳島線が交わる交通の要衝ではあるが、街自体はお世辞にも大きいとは言えない。早く今夜のお宿・ムーンライト高知に乗りたくなってきた。
 こういう時の待ち時間は長い。待合室のベンチには、偸閑(あからさま)に鉄道マニアと分かる格好のオヤジ二人組が、金に物を言わせた過去の鉄道に関する遍歴を語っている。互いに互いを認めようとしないから、話はエスカレートしていく。実話なのかどうかの区別が付かない。聞いていて不愉快になってきたので、MDを聴きながら本を読んだ。

 ムーンライトは、定刻に阿波池田駅に到着した。あとは自動的に京都まで連れて帰ってくれるし、京都が終着だから話は早い。
 車掌さんから指定券を買って、空いている席に転がり込み、あっという間にぐっすりと眠った。さすがに合宿明けの旅は、睡魔の襲い方も激しい。


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