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〜 2日目 〜
薩摩半島一周  吹上浜と開聞岳に感動!

加世田に静態保存中の2号機関車と腕木式信号機
薩摩半島周遊紀行
 目覚めれば、伊集院の一歩手前。危ねぇ危ねぇ。さぁ、いよいよ薩摩半島周遊だ!と、勇んで降りたのだが。
「さっっっむい〜〜〜!!!!」
 友人にメールして訊いたところ、この日の鹿児島県薩摩地方の予想最低気温は2℃。春の九州とは思えん!鹿児島交通のバスにて今日最初の目的地、吹上浜に向かったが、とても途中下車する勇気など起きない!本当ならここで途中下車し、朝焼けの吹上浜を眺めるつもりだったが、無理 !!!! 仕方なく、加世田まで行く事に。

加世田駅跡にて
 加世田は元々、私鉄として伊集院から枕崎を結んでいた鹿児島交通 (当地では旧名の南薩鉄道という言い方が今でも一般的。昭和58年6月21日の集中豪雨による水害で全線廃止。) の最も大きな中間駅だった所であり、勿論、沿線では人口も最大である。その広大な鉄道全盛期時代の敷地は、今ではバスターミナルや駐車場などになっているが、ここに鉄道が走っていた事は今でも容易に想像できる。
2号機関車正面
 駅前には蒸機やディーゼル機関車、シグナル式信号機などが保存され、往事を偲ばせていた。左の写真には屋外に保存中の2号機関車を掲げたが、バスターミナル裏の南薩鉄道記念館には、廃線当時まで走っていたディーゼルカーや1号機関車が展示されていた。掲載できなかったのは、勿論、朝早すぎて記念館がまだ開館していなかったからである。
吹上浜への山道
 さて、本来ならここから知覧の特攻記念館に向かう予定であったが、ここ加世田にも特攻記念館があるという情報を、バイト先のご家庭から入手していた。その方によれば、加世田の記念館の方がゆっくりと見学できるらしいので、そちらに行ってみる事に。バスセンターで訊くと、充分歩いていける距離との事。
同じく、ディーゼル機関車
「でも、途中結構坂道あるんで、バスかタクシーの方が良いかも知れませんよ。」と言ってくれた係の人の言う事も聞かず、15kgの大荷物と共に西へ西へ、幻の特攻基地と呼ばれた飛行場があった、万世(ばんせい)に向かう。

 道は本当に坂ばかり。一山越えたので、もうそろそろかと思ったら、また道は上ってゆく。二山越えた所に、やっと「万世平和祈念館」への案内板があった。
 ここからは割と平坦な道を海に向かって歩く。松林が視界いっぱいに広がり、遠くに吹上浜の水平線が空との甘い境界線を成している。陽は東天から僕をじりじり照らし、さっきまでの寒さがウソのようである。
サンセットブリッジ近景。これが自転車橋というから驚きだ。
憧れの吹上浜を眺めて
 万世平和記念館に行く前に、近くにある自転車橋、『サンセットブリッジ』に寄ってみた。自転車橋とは言え、かなり立派なPC (鉄筋コンクリート) 斜張橋で、サイクルシティを誓言する加世田市のサイクリングロードの中でも、最大のビュースポットとなっている。万之瀬川の河口に架かる全長405mのこの橋からの眺めは非常に素晴らしく、特に、西に海が広がっているために夕陽の眺めは最高であろう。勿論、日のある間ならいつでも、360°のパノラマで松原と海の調和を楽しむ事が出来る。

サンセットブリッジからの眺め
松の濃緑と海の青の対比が素晴らしい
 大好きな橋の上で、荷物を枕に寝っ転がりながら海を眺める。こんな幸せあんまり無い。この橋なら、乗り物に轢かれたってそれは自転車なのだから、ケガすらする事はあるまい。時折通りかかる地元の方と、今日は良い天気ですねなどと話しながら、しばし借景に心を預けた。主塔の高さもなかなかのもので、橋好きの僕としてはAの評価を差し上げたい。

万世平和祈念館
 美しい風景に見とれてはいたが、忘れてはならないのが、ここがほんの数十年前、特攻基地であったという事実である。サンセットブリッジに別れを告げ、やって来たのが今日最大の目的地、万世平和祈念館。サンセットブリッジからは3分ほどの距離である。
複葉機をイメージした祈念館の外観
 複葉機とは、上下に二枚以上の主翼を有する飛行機 (広辞苑第5版より)、つまり、ライト兄弟が創ったような、主に、まだ黎明期だった頃に造られた飛行機の事である。ここ、万世の基地から出撃した特攻機の中に複葉機は無かったはずだが、特攻の練習用に複葉機が多く用いられたのは事実である。

 早速中に入ったが、ここでも非常に親切な嘱託職員のKさんに中を案内してもらった。入って先ず目に付くのは、吹上浜の数百メートル沖合から引き揚げられたという偵察機だ。50年もの間海底に埋まっていた訳だが、砂地に埋まっていたおかげで保存状態は非常に良く、ほぼ完全な形で展示されていた。勿論、全ての部品が引き揚げられた現物である。Kさんに言わせれば、これを展示する為に、この記念館を建てたようなものなのだという。この飛行機についてのみならず、他にももっともっと、語りたい事は山とあるのだが、ここは皆さんに実際に訪れてもらい、そして終戦直前にここで何があったのか、我が目で見て頂きたい。
若尾達夫 辞世の句
 若桜 春をも待たで散りしゆく
   嵐の中に枝を離れて
         若尾達夫

 まさに若桜である。僕と同い年、或いはまだ年下の者も含まれているのだ。これは、この旅を前にして読んだ数冊の本にて知った事なのだが、特攻隊員たちは何も、「お国のために」と、ただ敵艦目掛けて飛行機をぶつける事ばかり考えていた訳ではないようだ。反戦の意を強く持ち、自由主義に憧れつつ死んだ者の方が多いらしいのである。


17歳で散った命の叫び
とても17歳の書いた文章とは思えない
 また多くの者は非常に博識であり、とても僕と同い年とは思えないような、見事な文章を、すらすらと書き連ねている。無論、上官から与えられた原文はあっただろうが、それにしても、これにはさすがに驚きの意を隠せなかった。大日本帝国という国家は、学問に秀でていようがいまいが、志願した者とあらば誰彼問わずに南の海へ飛ばせたのである。世も末である。当たり前だ。

 祖国が勝つ事はもはや無い。しかし、自分が死ぬ事でほんの少しでも家族や祖国を守る事が出来るのなら……。
 殆どの者がそう思って、帰らぬ空路に就いたというのである。昨今の無知なマスメディアは、大抵が「特攻隊員たちは、皆が当時の洗脳教育の下で、戦争機械のようになって敵艦に突入した」と報道しているが、事実は全く逆である。因みに僕は、テレビ報道の内容を90%信用しないようにしているが、全てこういった理由による。第一、新聞やらテレビは、戦時中、国家の圧力に屈して日本は勝ち続けているという誤報を流し続けていたのだ。あれから60年経ったとは言え、未だに何の反省もせず、無責任な報道を繰り返すマスコミを、信用できる訳がない。

祈念館前に立つ「よろずよに」の塔
塔の左の黒い石碑には、万世を発った
特攻隊員全員の名が記されている
 少しでもゆっくり見られるようにと、Kさんは僕を加世田まで送ると言ってくれた。おかげで、多くのかけがえ無い勉強をする事が出来た。この場を借りてお礼を申しあげたい。

 ところで、もう一つ書かねばならぬ事がある。それは、未だに遺影の見付からない特攻隊員の方々の名前である。もし、このホームページを見られた方の中に心当たりがある方がいらっしゃったら、すぐに平和祈念館に連絡して頂きたい。電話番号は099-352-3979である。
第66戦隊森 弘 准尉昭和20年4月1日戦死
27歳
東京出身
第66戦隊勝俣喜一郎少尉昭和20年6月4日戦死
30歳
神奈川出身
第66戦隊若井達司伍長昭和20年6月16日戦死
20歳
新潟出身
第55戦隊宮川喜一伍長昭和20年6月17日戦死 年齢不詳神奈川出身

 尚、特攻隊員の戦死とは、特攻基地を飛び立った、まさにその瞬間の事である。また、階級については、特攻死した時点で二段階の昇級がなされるため、昇級後の階級を表記した。尚、2004年春に、上の表に名を連ねていた中野定吉准尉の遺影が発見された。戦後59年を経ても、見付かるものである。

旧万世駅跡地。
古枕木の柵だけが南薩鉄道を物語る。
南薩鉄道廃線跡探訪記
 Kさんは加世田に僕を送る途中、幾箇所もの南薩鉄道の遺構に案内してくれた。まずは万世駅跡地。重機が入って何やら工事が進んでいるようだが、道路と敷地を仕切る柵は、明らかに古枕木であった。
 続いてその跡地から延びる線路が向かう林の中。ここは車は通れず、僕だけが走って行ったのだが、鉄道廃線跡特有の緩やかに曲がるカーブに、人知れず咲く菜の花が印象的であった。

 極めつけは万之瀬川に架かっていた橋梁跡。ここに関しては、よっぽど注意してみないと、果たしてそこに数年前まで鉄橋があったなどとは気付かないであろう。Kさんは少し得意げに、僕に説明をして下さった。
林の中へ続く廃線跡には、菜の花が咲き乱れていた
 橋桁は勿論、線路跡らしいものは何一つ無かった。しかし、川から迫り上がった森の横には、草に埋もれた線路跡があり、辛うじて、線路がそこから橋梁に続いていた事が分かるのだった。

お世話になりました!!!
 バスの時刻ギリギリまで、Kさんは僕を様々な場所に案内して下さった。本当に、親切この上ない方で、何度お礼を言っても言い足りない。

「今度来る時は、先に連絡しといてくれたら、もっと色んな所に連れて行ってあげるから。」
 加世田駅跡の、広い駐車場で名残を惜しむ僕に、Kさんはそう仰有った。

 旅の醍醐味とは何か。そう訊かれたら僕は、素晴らしい出会い別れがあるから、と答えるだろう。旅での出会いは、別れと表裏一体である。それだけに、接する人とは相当に密な時間を作り上げる事が出来るのだ。
枕崎駅舎と、駅前広場に立つ灯台
日本最南端の始発駅にて
 しかし、バスに乗った途端、大事な事を思い出した。僕は吹上浜散策の途中、当地の銘酒『吹上』なる焼酎を発見したのだが、それを、平和祈念館に行った後で近くの酒屋で買おうと思っていたら、うっかり忘れていたのである。しかし、今日の夕暮れには指宿で途中下車するからその時にでも探せるし、鹿児島市内を散策する時間もあるから、まぁ大丈夫だろう、くらいの軽い気持ちでいた。この時は。

 枕崎へ向かうバスの中では熟睡。春のポカポカ陽気が、僕を素晴らしい夢の世界へと (いざな)った。
 だが、目覚めたら車内の様子がおかしい。何だ?と思ったら、何と!

駅前広場の灯台アップ
 車内に誰もいないじゃないか!どうやら、あまりに熟睡していた為、眠ったまま僕は運転士さんに放って行かれ、バスは駐車場入りしたのに車内に残されたままとなったのだった。運良く、傍を通りかかった整備士のおじさんにSOSを発して助けてもらったが、本当に昼間で良かった。もし夜だったら、誰もいないバスターミナルでどうやって降車しようかと考えあぐねていただろう。まぁ、窓とか非常口とか、降りようと思えば結構降り口はあるのだが。
カツオ定食に舌鼓!
 取りあえず腹が減ったので、駅前の『一福』さんでカツオ料理を頂く。ここは先程の万世平和祈念館のKさん一押しの店で、折角だからカツオ定食の『松』を頂く。因みにカツオ定食『松』は8品目で\1300、『梅』は6品目で\900。
 鰹のタタキ、内臓 (白子、真子、心臓) の煮物、腹皮の天ぷら、カツオ味噌、酢の物、酒盗温度卵、そして御飯に味噌汁など。
枕崎駅に停車中のキハ47
 美味しいのは言うまでもなく、量が多くて非常に嬉しかった。本来なら、ビンタ煮 (カツオの頭の潮煮) や洗いなども付いた「コース」を所望したいところだが、『松』でも十二分にカツオを堪能できる。中でも、特に美味かったのは酒盗温度卵。これは名の通り、酒盗に半熟卵を混ぜて食べる一品で、酒の肴には最高だろう。勿論御飯のおかずにも最高で、これさえあればいくらでも飯が食えるモンのリストに加えておきたい。

 料理の写真を撮っても良かったのだが、やっぱりここは、皆様自身で足を運んでもらって、そして目でも舌でも味わって頂きたい。
青い空に聳える枕崎駅の駅名板
枕崎駅点描
 駅にあった落書きノートに、今日の旅日記を書き付けるが、そのノートに同じグッたいみすとである、あさぎりまいこ。さん (経歴や掲載回数についてはあさぎりまいこ。さんの方が断然長く、多いのですが) の記事を発見。グッたいみすとの方の記事を発見したのはこれが初めてである。

 枕崎駅は、南薩鉄道現役時代からあまり変わっていない。ただ、昔は線路があったと思しきところが、バラストすら見当たらない状況になってはいたが、埋まった木枕木が、僕にもそこが線路だった事を確実に教えてくれた。

 指宿枕崎線はキハ47の旅路である。雲一つ無い薩摩路を、2輌編成のディーゼルは、一路日本最南端の駅へと走った。薩摩板敷、白沢、薩摩塩屋、石垣、頴娃…。小さい頃から、何度となく時刻表で眺めてきた駅名看板が目の前を()ぎる。線路は海沿いに走り、長閑な昼下がりの車窓は、春とは思えない眩しさだった。
日本最南端の駅、西大山
春風や 雲に聳えり 開聞岳
 開聞を前にした頃から、線路は少し内陸に入る。いよいよ、今までは遠くに小さく見える三角形に過ぎなかった開聞岳が間近に迫り、窓からは頂上が見えないほどに、車窓一杯に広がった。日本には勿論、無数の山があるが、これほど見事な円錐形の山も無いだろう。等高線が入った地形図で見れば分かるが、本当に、等高線は頂上を中心とした美しい同心円を描き、裾野で一方は海へ落ち、もう一方は池田湖に沈んでいるのである。

日本最南端の駅にて
開聞岳をバックに入線するキハ47
 西大山で途中下車した。逆光の開聞岳はいやにも増して壮大に見える。美しい。
 ここで降りたのも、また駅にいるのも、次の列車までの1時間あまり、ずっと僕一人だった。何もする必要はない。開聞岳を眺めながら、ただのんびりと、日本最南端の駅を味わった。
 この駅については、何度も本などで調査した経験がある。しかしどの本にも必ず書かれている事があった。

「何もない駅である」
駅前の花壇にはいつも美しい花がある
 周辺、軽く見渡したくらいには民家すら無い。ただ、畑が広がるばかりで、交通量も言うまでもなく、ゼロに限りなく近い。駅のたびノートにも書いたのだが、この「何も無さ」が、西大山駅最大の味だろう。日本の最○端の駅を考えてみるに、これだけ何もない駅はここだけだ。でも、多くの人がこの駅を愛している。大切に思い、何度も訪れ、かけがえのない思い出にしたいと思う。
 駅前に、よく手入れされた花壇があり、どの季節にも花が絶えない。いつも感動の声が載っているたびノートがある。それだけでいいのだ、この駅は。
キハ200 NANOHANA @指宿駅
 西大山から2駅で日本最南端の有人駅、山川。昭和38年まで、この路線は指宿線と呼ばれていたが、当時はこの山川が終点であった。西鹿児島行きに乗り換えて1駅で、日本有数の温泉地、指宿に着く。

砂蒸し会館「砂楽」
 指宿といえば砂蒸しだ。駅から1km程の所にある砂蒸し会館『砂楽』に向かう。ここではたった\900で、砂蒸しを誰でも体験できる。僕も半分以上興味本位で、砂蒸しをやってみる事に。

 浴衣を借りて、それ一枚になり、浜辺に向かう。夕闇が迫り来る浜からは、湯気が立ち上り、自然のエネルギーを感じる事が出来た。少し並んでいる人はいたが、じきに順番が来て砂の上に横たわり、上から砂をかけてもらう。始めは結構砂が重く感じるが、それもじきに慣れ、心地よい砂の温かさに身を任せる。
砂蒸し会館『砂楽』
『長時間のご利用は脳充血などを起こす恐れがあります』というような内容の看板、そして時計が要所にある。目安としては10〜15分らしいが、せっかくなんだからと、25分埋もれていた。
はじめての砂蒸し
 上手に入るコツとしては、体を動かさない事。体を動かすと、その動かした部位に載っている砂が崩れ、体が外に出てしまう。僕も、手をもっと深いところへ持っていきたいなと思って、指や掌で掘ったのだが、少し掘るとかなり熱いゾーンに達し(砂浜の下から熱水が湧き上がっているのだから当たり前)、それ以上掘れなくなる。しかも手を動かした為に手の上の砂が殆ど無くなり、仕方なく諦めた。

 25分で僕は汗だく。起きる時は先ず手足を砂の外に出して体の上の砂を払い、そして起きる。皆、結構体の砂を落としてから戻っているのだが、僕はエライ汗の為に浴衣に付いた砂が落ちない。横で見ていた地元のおかーさんに話しかけられる。
ああ、砂楽って写楽とかけてたんか。
「まぁ〜〜〜、何分入ってたの?」
「え?25分くらいですね。」(自分では、ちょっと長めに入ったと思っていた)
「へぇ〜〜〜。それぐらいの時間でそんな汗出るなんて、若いわねぇ。」

 いや、地元の方にはかないまへん。

 汗をかいた後は、シャワーで砂やら汗を流して、大浴場へ。大した設備はないのだが、実に心地の良い風呂だった。2日分の疲れは皆吹き飛ぶ。壁に書かれた「旅人の手記より」という文章の中の、『湯の中では悪人も善人も皆善人となる』という言葉が印象的であった。
手前の砂浜に、湯気が立ち上っている
風呂上がり
 風呂から上がって、飲み放題のお茶で渇ききった喉を潤す。『酔い醒めの水千両と値が決まり』という川柳があるが、風呂上がりにも全く同じ事が言える。

 ところで、この砂楽、かの有名な (笑) 金田正一元投手を、名誉館長にしているのだが、一体どういう理由なのだろう?傍には、薩摩半島を舞台にした、当時の朝の連続テレビ小説、『まんてん』のポスターが貼ってあった。

 指宿駅まで、涼しい夕暮れの道を歩いて帰った。その道すがら、数軒の酒屋に立ち寄り、『吹上』を買い求めたが、どこの店でも、主人は酒の名を知っているのに置いていない。結局買えず仕舞いで西鹿児島に向かう。途中、喜入付近では、闇夜に、ライトアップされた巨大な石油備蓄タンクが浮かび上がっていた。
新しくなった西鹿児島駅
 西鹿児島駅は、つい最近新築された。今でも駅前広場は整備中で、市電乗り場とも非常に行き来しにくい状態であった。しかし、そうして建てられた新「西駅」は、赤を基調とした、かなり斬新なデザインとなっており、市の中心駅に相応しいものであった。
変わってゆくもの、のこっていくもの
 しかも、ただ新しいだけではないのだ。改札口を出た所には、丈夫そうな木でできたベンチがあるが、これは、取り壊された駅舎の梁として使われていた材木を再利用したものである。書かれていた説明に依れば、樹齢100年の木は、切り倒されてからの寿命も100年なのだという。
西鹿児島駅に展示されていた屋久杉
 旧「西駅」は、築27年で取り壊された。梁に使われていた材木は、元々、樹齢約100年のものを使用していたという。という事は、この木はまだ、あと70年以上も寿命があるから、こうしてベンチとして蘇らせたのだと。木目の美しい、どっしりとした良いベンチだった。こういう、昔ながらの考え方を、これからも大切にしていかねばならないと思う。

 駅を出て、市電に乗り、天文館通へ。降りるとすぐ目に付く、市電と直角に走っている最も華やかな通りが天文館通だ。僕は勿論、鹿児島名物「シロクマ」を食べに来たのだが、西鹿児島駅前で道を訊いたおじさんには、「今から天文館通行って、どうするの?飲むの?」と訊かれた。「僕らが天文館通行く時は、飲みに行く時だけだからねぇ。」と。
むじゃきっこ
 さすが、鹿児島市内随一の繁華街だけの事はある。僕は、詳しい位置までは訊かなかったのだが、シロクマの本家本元、『天文館むじゃき』はすぐに分かった。と言うのも、表にデカイ白熊の人形が立っていたのである。因みに一応場所を説明しておくと、天文館通の駅から天文館通に入り、100m程進んだ右手にある。9時半閉店だったので、かなりギリギリの時間に入店となったが、中はかなりの混みよう。でも、一人分くらいの席はあったので、取りあえずノーマルなシロクマを注文した。
天文館むじゃき 正面
 僕は大の抹茶好きなので、本来なら白熊抹茶を注文するところだが、この店、あまり男が一人で入ってくつろぐ店でもない。だから、内心ちょっと焦っていて、それでうっかり、白熊抹茶があるのを見落としてしまったのだ。

 少し待っていると、颯爽と白熊が運ばれてきた。期待を裏切らない大きさに、まずは喜んだ。さて、シロクマとは?…つまり、でっかいかき氷である。左の写真を見てくれれば分かる通り、大きめの鉢に、山盛りの氷。周りにはフルーツなどがあしらってあるというものである。

 価格は、ノーマルな白熊が\680、抹茶など、味の付いているものであっても\730などと、普通の喫茶店の、普通の大きさのパフェか何かと変わらない価格。僕は一応、取材という『形で』これを食べたのだが、そんな形にしなくてもいい美味さだった。また、けっこうな量の夜食にはなってしまったが。

鹿児島市電を横目に
市電天文館通駅にて
 天文館むじゃきを出て、このまま、来た時と同じように市電に乗って、西鹿児島駅に帰ってもよかったのだが、時間にかなりの余裕があったので、一旦鹿児島駅まで歩いてから西鹿児島に向かう事にした。市電が走る通りは、交通量こそ多いものの、さすがに夜も更けているので暗く、一人で歩くのはあまり心地よいものではなかったが、鹿児島港や水族館などの側を通って行けたので、退屈はしなかった。それ以前に、まず、横を市電が数分間隔で走るのだから、退屈などはしようはずもないが。

 鹿児島駅から西鹿児島駅までJRを使って戻り、例のどっしりとしたベンチで一休み。ドリームつばめが入線するのを待つ。辺りには、遅くまで開いている土産物屋で、賑やかに品物を選ぶ旅中の女性グループの姿などもあったが、殆どが仕事帰りと思われる人たち。ドリームつばめは、大切な鹿児島本線の『終電』と化しているのであろう。


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