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雪国へのお誘い
  2002年旅納めの旅  

出町柳6:57
京阪鴨東線・本線
東福寺7:08
7:24
奈良線
京都7:26
7:30
東海道本線
快速
能登川(8:21)
(8:23)
東海道本線
新快速
米原(8:36)
8:55
東海道本線
大垣9:27
9:33
東海道本線
快速
豊橋10:54
11:26
東海道本線
浜松11:58
12:09
東海道本線
熱海14:28
14:37
東海道本線
根府川14:51
15:01
東海道本線
横浜16:08
16:11
東海道本線
鶴見16:21
16:38
鶴見線
海芝浦16:49
16:55
鶴見線
弁天橋17:01
17:03
鶴見線
大川17:11
17:19
鶴見線
安善17:23
17:29
鶴見線
扇町17:37
17:40
鶴見線
鶴見17:57
18:04
東海道本線
東京18:34
19:09
総武本線・成田線
快速
エアポート成田
成田空港20:40
21:01
京成本線
特急
京成上野22:13
徒歩
上野22:39
山手線内回り
池袋22:56
23:03
埼京線
快速
大宮23:37
23:43
高崎線・上越線
快速
ムーンライトえちご
(車中泊)
新潟4:56
6:24
上越新幹線
Maxとき302号
越後湯沢7:17
8:15
上越線
たにがわ73号
ガーラ湯沢8:18
9:15
上越線
たにがわ号
越後湯沢9:18
10:10
上越新幹線
とき310号
高崎10:36
10:50
高崎線
大宮(12:10)
(12:16)
川越線
川越(12:33)
12:57
川越線
高麗川13:20
13:32
川越線
川越13:52
13:55
川越線
大宮14:15
(14:16)
東北本線
快速
ラビット
上野(14:40)
14:47
山手線
東京14:52
15:13
東海道本線
熱海17:02
17:09
東海道本線
沼津17:28
17:32
東海道本線
静岡18:33
18:34
東海道本線
浜松19:47
19:50
東海道本線
特別快速
金山21:05
21:20
東海道本線
区間快速
米原22:38
22:59
東海道本線
京都0:11
徒歩
七条0:33
京阪本線・鴨東線
急行
出町柳0:42
まさしく、ぶらり旅

 2002年冬、青春18きっぷが僕の手元に2日分残った。まだまだ使用期間は残っているが、年が変わると行く機会が無くなりそうである。相変わらず何やかやと用事が出来てくるに違いない。それに、冬季間しか列車が走らない、越後湯沢−ガーラ湯沢間を、必ず今のうちに乗っておく必要がある。

 いつもの事で、ふとそう思い立った僕は、先日の中国地方への旅路から中一日しか空いていない2002年12月26日朝、予定も決めずにぶらり列車に乗り込んだ。あまりに突然だったので準備という準備を一切しておらず、さすがに手間取り、いつもより遥かに遅い時間にしか出発できなかった。昨夜から京都でも雪が降り、道にまでうっすらと積もっている中、いつものコースで京都に出る。

 JR線も雪の為に多くの列車で遅れが出ていた。しかし、僕は行き当たりばったりで何の制約もない旅だから構わない。取りあえず明日の晩までに、越後湯沢−GALA(ガーラ)湯沢間僅か1.8kmの路線を乗破して、京都に帰って来られればよいのだ。気楽な気持ちで、221系の快速に乗り込んだ。

最徐行の新快速

 京都府内では車窓から全く雪を見る事はなかったが、滋賀県に入り、大津・膳所を過ぎると、そろそろ車窓に雪景色が広がり始めた。それに連れて、列車もいつもとは程遠い速さでしか走らなくなる。能登川で後発の新快速に抜かれるので降車したが、この時点で既にかなりの遅れ。周りには、しきりに時計を気にする人や慌ただしく携帯で連絡を取る人が目立つ。
 新快速に乗り換えても、ノロノロ運転は変わりない。彦根の辺りでは、とうとう止まるのではないかと思うほどの最徐行運転。中間運転台にかぶりついていたら、駅と駅の中間で、いつもなら130km/hで走り抜ける所を、わずか15km/hで走っていく。車窓からも、雪折れの竹が見えたりして、その理由がはっきりと分かった。

 しかし、何とか事故にもならずに、定刻より大きく遅れて列車は米原に滑り込む。雪降りしきる車窓に見える、ヤンマー総合研究所の屋上にある気温計は、実に0℃を指していた。こんな時間にこんな温度を見るのは久し振りだ。隣に見えるWIN350、STAR21、300Xも、寒さの中でいつも以上にひっそりと佇んでいた。

 関ヶ原までは相当に雪深い場所を走る。きっと新幹線もこの雪の影響をモロに喰らっている事だろう。毎年毎年東海道新幹線が雪の影響で徐行する理由がはっきり分かった。しかし、大垣を過ぎると車窓に少しは雪が見えるものの、全く降る様子もない。行程はこれ以降、全て順調に運んだ。

いつも通りの上京紀行

 行程に余裕があり、かつ、乗り継ぎがあまり巧くいかなかったので、豊橋で3件旅行貯金。今回も大した荷物ではなかったので移動は楽で、10分1件ペースで回れた。

 昼飯時だし、豊橋で走り回したからもあって腹が減り、浜松で売店のおかーさん推薦の『浜の釜飯』という弁当を買ったが、残念、これは『駅弁』ではなかった。因みに『駅弁』とは、包み紙などのどこかに、『駅弁マーク』が付いているものの事を指す。このマークが付いているものだけが、本当は『駅弁』なのだ。因みに、その『駅弁マーク』が付いた駅弁だけで、日本全国に2200種類程度あると言われている。

 大井川の辺りでお天気になり、列車は緩やかなカーブを描くデッキガーダー橋を渡ってゆく。青い雪解け水流れる川面と、陽の光に輝く遠い山々の残雪の対比が美しかった。それにしてもいつも思っている事なのだが、江戸時代にこの川は、入り鉄砲に出女を防ぐ為に橋を架けなかったというが、泳げば済むのではないだろうか?関所を通らずに山越えをすればその場で磔、というのは聞いた事があるが、大井川で渡し屋を使わなかったら磔というのは聞いた事が無い気がする。ただ、僕は日本史など全く分からないので、大きな事は言えないのであるが。

東海道の借景、根府川駅にて

 根府川で念願の途中下車。駅前郵便局で旅行貯金をしてから、眼下に広がる海を眺めた。関東の駅百選にも認定された根府川駅は、無人化されてはしまったが、ちゃんとスタンプは残っていたし (但し、スタンプ台は渇ききっていて、手持ちのを使わないとかなり押しにくい状態であったが)、木造の駅舎内には生け花が飾られていた。僅か10分であるが、普通列車のみの東海道上京に、良いアクセントを与えてくれた。

 鶴見からは、2年越しの夢を果たす。ここ鶴見線は、本来ならMAIHAMA DREAMIN' (2000年冬、東京方面への旅路) の時点で乗り潰しているはずだった。しかし、MAIHAMA DREAMIN'では奥多摩駅で信号故障に出会ったり、休日ダイヤに阻まれたりで、鶴見線乗車が全く出来なかったのだ。JTB時刻表に、鶴見線の休日ダイヤが乗っていないのはかなり致命的である。
 僕はMAIHAMA DREAMIN'の直後に、グッたいむネタとしてこの事を送ったが、当然のように載らなかったし、反映もされなかった。残念であるが、需要を考えれば無理ないのかも知れない。
日本一海に近い駅にて
 海芝浦では、暮れゆく東京湾に架かる幾つもの橋を見る事が出来た。駅のホームの下はすぐ海である。信越本線の青海川はよく、「日本一海に近い駅」と言われるが、海面への近さだけなら、海芝浦の方が上だろう。ただ、景観は青海川が大勝かも知れないが。
 海芝浦は、駅を出た所がすぐ東芝の敷地になっており、社員証が無いと駅舎から出る事さえも出来ない。鶴見からたったの11分で、外国に来たかのような心持ちである。撮影という目的のみで駅舎から出る事を許され、ガードマンの視線を受けながら駅舎を撮影し、悪い事などしていないのに「すんませんでした」と守衛に頭を下げて車内に戻った。
海芝浦から東京湾を望む
 車内は、座れはするものの結構な混み方であり、勿論、僕以外全員が会社帰りの方々だった。これなら、休日は運転本数が激減する訳が分かる。通勤以外の目的で乗っても、駅から外に出る事さえ出来ないのだから、休日に需要がある方がおかしい。

用も無く成田空港へ

 鶴見線を乗破したら、次は『北への大志 前談』で乗れなかった成田空港。すぐに東京を経由して深川めしを片手に、大混雑のエアポート成田E217系に乗り込む。そのうち空いてくるだろう、空いてきたら駅弁を、と思っていたのに、千葉を過ぎる辺りまで座れなかった。駅弁を食べられるくらいの混雑率になったのは、成田空港到着の直前であった。

偶然出会った成田エクスプレス。
外観だけでなく、内装も素晴らしい。
 成田空港でも写真撮影だけの為に降り立った僕だが、駅を出るなり「フライトチケットなどをお見せ下さい」と言われ、当然そんな物は持っていない。仕方なく、学生証を出して見学させてもらう事にした。しかし、時間も無かったし、既に時間が時間で展望室などは閉まっており、大したものは見られなかった。

 帰りは京成。本当なら、ついこの間に開業した新線である芝山鉄道も乗っておきたいところだったが、時間の関係で諦めた。熟睡しながら京成上野へ。

Suicaペンギン。
国仲涼子がCMに出てた頃が懐かしい

 わざわざ池袋へ行ったのは、田端−池袋間が未乗だった為。下車印ももらって、次は埼京線……つまり武蔵浦和経由で大宮へ。ここの埼京線乗車も、いつでも乗れると思っていて後回しになっていた部分だった。
 大宮からは定宿(じょうやど)、ムーンライトえちごで一泊。一泊¥510の宿とは、本当に便利である。

夜が明けると、雪国であった。

 目が覚めてみると越後路である。こんな真冬に、こんな北国に来るのは初めての事だ。新潟駅で降りてみると、車輌の側面に、一面に雪がこびり付き、しかも凍って取れなくなってしまっている。窓ガラスや妻板もしかり。足で軽く蹴ったらようやく剥がれたが、足下も凍結していて同時に自分が不安定な体勢になり、コケかけたので、一回でやめた。

これが、まさかいくらなんでも寿司だ
 新潟駅は米所のど真ん中という事もあり、有名で美味い駅弁の多い駅であるが、今回僕が選んだのは『まさかいくらなんでも寿司』だ。関西人的なノリで親しみやすく、一回聞いたら忘れられない。この語呂には負けました。それにしても、朝早くから開店している売店に感謝。おかげで今日も美味い駅弁を食いながら旅が出来るというものである。
 新潟初電の新幹線『Maxとき300号』は、越後湯沢に停まらないので、僕が乗ったのは次の『とき302号』。中では、洗面所の前に立って、携帯電話やビデオカメラ、MDの電池などを充電していた。慌てて飛び出してきたので、充電もしっかりしていなかったのである。
 車窓風景は殆ど白一色だった。僕の乗る全席二階建てMaxE2系は、まだ明けぬ越後平野を、スプリンクラーが線路の両側から噴水を撒き散らす中、朝の静寂を破って、凍てついた空気をつんざいていった。
ホンマ、雪国に来てまいました

 それにしても、もの凄い数のスプリンクラーである。これだけ地下水を汲み上げていれば、そりゃあ地盤沈下も起こるであろう。しかし、全線に雪覆いを付けたりでもしない限りは、線路の凍結が防げないのだから仕方ない。しかし、これほど多いとは思っていなかった。駅の末端部分や、高架橋の端など、排水溝が詰まっているのか、整備が充分でない所には、かなり大きく、深い水たまりが出来ていた。

 新幹線の速度が落ち始めた。国境ではないが、長いトンネルを抜けると、今までより一層雪深いと思しき風景が車窓に広がった。アナウンスが越後湯沢の名前を告げ、僕は降りる支度を始める。さぁ、ここからが今回の旅最大の山場だ。

 ホームに降り立つと、窓からは一面の雪景色だ。ドームに覆われた駅構内はさして寒くないが、外の寒さは容易に想像できた。ホームにいるうちに手袋をはめて、コートの前を閉め、完全装備で改札を出る。

雪と戯れて、足が水浸し・・・

 さすがに寒かったが、でも、大量に雪があったので、相当に面白かった (子供みたいですが)。融雪溝に雪を蹴落とすのが面白くて (初めての経験)、バコバコ落としているうちに、僕の周りに雪が無くなり、我に返る有様だった。何事にも、熱中するというのは面白い。
 かなり財布の中身が減ってきていたので、駅前の郵便局でお金を下ろしてからGALAに向かいたかったのだが、8時になってもATMが開かないので断念する (ATMは9時からでした)。100円に満たない所持金と共にGALAに向かう事となった。

 GALAまでは、ほんの3分の道程である。距離にして1.8km。もし出来れば、ここから越後湯沢駅まで歩いて帰ろうとしていたのだが、この日は吹雪でリフトが止まったりするほど風が強く、とても歩いて1.8kmの道を帰れるような状況ではなかった。僕も、1.8kmくらいの距離なら大概は我が身一つで乗り切ってきたが、今度ばかりは、一歩間違えば遭難する虞がある。それだけでなく、次の新幹線を待っていた方が越後湯沢に着くのが早いだろう。

用も無く、GALAをうろつく

 そんな訳で、GALA駅内を散策したが、恐らくスキー客でないのは僕一人だった。リフトが止まって、他のスキー場への振り替えも遅れているようで、苛立ち始める人々の中を、スキーには興味も無いしした事も無い旅人が行ったり来たり。特に今回は1泊2日の短い旅だったのでかなりの軽装であり、はっきり言って僕だけが浮いている。スキー客の方々からすれば「一体コイツは何物なのだ?」という感じだっただろう。外にも出てみたが、本当に凄まじい吹雪である。積雪も1mを軽く越える。正に『雪国』と言うべきである。

リニューアルされ塗装も一新した200系
 GALAにはかなり多くの土産物屋があり、オリジナル商品も多かったので、話の種に買いたいなとも思ったが、さすがに80円で買える物は無かった。仕方なく、オレカで切符を買って、再びホームに向かう。リニューアルされた200系が待っていたが、どうやら乗り込んだのは僕一人の模様。新幹線を貸し切りなど、そうそう出来る事ではない。まぁ、たった3分間の話だが。

上越新幹線完乗

一段目は小エビ。
三段重ねという凝った駅弁。
 やっとお金を下ろし、真っ先に駅弁。越後湯沢と言えばくびきの押し寿司だ。『くびき』は漢字で書くと『頸城』で、この辺りの地名である。昔からこの辺りで、来客の際や祝い事の際に作って食べられていたのがこの押し寿司なのだそうだ。小エビ、椎茸とヒジキ、卵とシソが、三段の飯に別々に挟まれている。笹にくるまれているのだが、食べ方までもがパッケージに書いてある弁当は珍しい。素朴な味で、なかなか美味しかった。

 高崎で上越新幹線から在来線へ。川越線を乗破すべく大宮へ向かったのだが。ここで先行列車故障の為ダイヤが乱れる。でも今日の行程には余裕があるので大丈夫と思っていたら、高麗川まで行って川越線を完乗した僕に、今度は人身事故という知らせが襲いかかる。こうして、予定より非常に遅れて東京に辿り着いた為に、非常に混んでいた東京中央郵便局での旅行貯金が出来ず仕舞いに終わる。残念。
小鯵の押し寿司に舌鼓!

 帰り道、まずは熱海駅で小鰺の押し寿司を購入。種類が多い割に、美味い駅弁の少ない首都圏に於いて (熱海が首都圏かどうかは謎だが、まぁぎりぎりセーフだろう)、この駅弁は素晴らしく、納得のいく物であった。

 食べていると、車窓に、夕陽に輝く富士山が見えた。夕陽に輝く富士を見るのは、MAIHAMA DREAMIN'で湘南モノレールから眺めた時以来だ。これは美しかった。写真に撮りは撮ったのだが、全然ダメ。載せない方が良かったかも知れませんね…。

 東海道を普通のみで帰宅するのは初めてかも知れない。北陸廻りや中央本線経由が多かったから。

 金山駅の売店で、『生煎餅』なる物を発見。八つ橋でもそうだが、僕は生の方が好きである。とにかく生菓子が好きなので、早速購入。電車の中で食べてみたが、不思議な味だ。黒砂糖風味とプレーンがあるが、どちらも、煎餅を焼く前のものとは思えない。それにしても、こんな土産がコンビニで売っているなんて。

 今回も京都に着いたのは日付が変わってからだったが、もう、この前のように歩いて出町まで帰るような事はしない。少しはえらくなったのか、体力が無くなったのか…。この翌日も朝、昼と二件のバイトがあり、さらにその後、正月前という事で吉野に帰省した。ああ、我ながら、達者が一番。

行きにも買おうとしたが、
売り切れていて買えなかった。



何かよく分かりませんが…富士山です!

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