| 東京 | 着 | 4:47 |
| 発 | 4:56 |
| 京葉線 |
| 南船橋 | 着 | 5:25 |
| 発 | 5:30 |
| 武蔵野線 |
| 西船橋 | 着 | 5:36 |
| 発 | 5:44 |
| 京葉線 |
| 市川塩浜 | 着 | 5:50 |
| 発 | 5:57 |
| 京葉線 |
| 蘇我 | 着 | 6:23 |
| 発 | 6:45 |
| 内房線 |
| 木更津 | 着 | 7:20 |
| 発 | 7:22 |
| 久留里線 |
| 上総亀山 | 着 | 8:31 |
| 発 | 8:46 |
| 久留里線 |
| 木更津 | 着 | 9:49 |
| 発 | 10:05 |
| 内房線 |
| 君津 | 着 | 10:12 |
| 発 | 10:35 |
| 内房線 |
| 安房鴨川 | 着 | 12:28 |
| 発 | 13:39 |
| 外房線 |
| 勝浦 | 着 | 14:08 |
| 発 | 14:30 |
| 外房線 |
| 大網 | 着 | 15:31 |
| 発 | 16:06 |
| 東金線 |
| 成東 | 着 | 16:23 |
| 発 | 16:37 |
| 総武本線 |
| 佐倉 | 着 | 17:11 |
| 発 | 17:21 |
| 成田線 |
| 佐原 | 着 | 18:06 |
| 発 | 18:13 |
| 成田線・鹿島線 |
| 鹿島神宮 | 着 | 18:35 |
| 発 | 18:38 |
| 鹿島線・鹿島臨海鉄道 |
長者ヶ浜潮騒 はまなす公園前 | 着 | 18:50 |
| 発 | 18:57 |
| 鹿島臨海鉄道・鹿島線 |
| 鹿島神宮 | 着 | 19:08 |
| 発 | 19:51 |
| 鹿島線 |
| 香取 | 着 | 20:06 |
| 発 | 20:08 |
| 成田線・総武本線 |
| 銚子 | 着 | 20:50 |
| 発 | 20:52 |
| 総武本線 |
| 成東 | 着 | 21:48 |
| 発 | 22:24 |
| 東金線 |
| 大網 | 着 | 22:43 |
| 発 | 22:45 |
| 外房線 |
| 千葉 | 着 | 23:10 |
| 発 | 23:11 |
| 総武本線・東海道本線 |
| 横浜 | 着 | 0:06 |
| 駅前交番付近にて野宿 |
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早暁5時前の東京駅を、僕はひたすらに歩いていた。京葉線のホームは遠い。地図を見て頂ければお分かりのように、京葉線の東京駅は、新幹線をはじめとする東京駅本体と、東海道本線の次駅である有楽町駅とのほぼ中央に位置しているのだ。これで「東京駅」を名乗っているのだから困りもので、知らずにやって来た人は、乗り換え距離のあまりの遠さに驚く事になる。これは、京葉線が開通したのがつい最近(と言っても15年以上前だが)で、既に東京駅の地下は地下街や地下鉄のトンネルが張り巡らされており、もはや介入の余地がなかったのである。いっその事、南東京駅とでも改称したらと思うが、今更そんな事を言っても仕方ない。
今日の旅路は、一日で房総半島のJR路線を乗り潰してしまう事である。千葉県は予想以上に広く、房総半島とそれに付随する諸路線の乗破だけに丸一日を割かねばならない。が、房総は今が菜の花の盛りであり、車窓風景もかなり期待できそうである。
だが、その前に乗っておかねばならない路線がある。武蔵野線の南船橋−西船橋間だ。ここは日本では珍しい、デルタ線である。デルタ線とはその名の通り、線路がギリシャ文字のΔ(デルタ。小文字はδ)のように三角形を描いているところを指す。この三角形のうち、南と西の2辺は乗車済みなのだが、東側の辺が未乗である。まずは南側の辺を通って南船橋に行き、ここから武蔵野線に乗り換えて東側の辺を乗破しつつ西船橋へ。さらに西船橋で東京方面行きに乗り換え、西側の辺を通って市川塩浜。これでデルタ線を一周した事になる。
蘇我からは、埋め立てられた海岸線に沿って内房線の旅である。小湊鉄道が分岐する五井を過ぎ、袖ヶ浦では海ほたるが見えるかと窓に齧り付き、木更津に到着。ここから、盲腸線の久留里線に乗り換える。この線は、千葉県内にありながら非電化であり、気動車の2輌編成が走っている。実に長閑なものだ。
特に車窓が素晴らしい路線でもないので、前夜、ロクに寝ていない僕は往路の殆どを熟睡してしまう。
さて、終着の上総亀山では、15分の折り返し時間の間に、荷物を車内に置かせてもらったまま駅舎の外へ出てみた。鄙びた山間の終着駅の典型という感じで、非常に好ましい。
帰りは車窓に目をやっていたが、房総半島がこんな起伏に富んでいたのかと思い直させられるような渓谷の中を進んでゆく。房総半島は地形学的に言えば洪積台地なので、浸食基準面が低いレベルにあるから、深い谷が刻まれやすいのだろう。
木更津からは再び内房線に乗り、久留里線の長閑さとは打って変わった工場地帯の横を走ってゆく。木更津で、1つ先の君津行きが来たので取りあえず乗ってみる事にし、君津で23分の待ち時間を過ごしたが、工場の中に駅があるという感じだった。この辺りは、京葉工業地域の南端に当たる。
安房鴨川行きに乗り込み、さらに南下を続ける。東京湾口を塞ぐように伸びた富津岬の付け根を通り、海沿いに出、浦賀水道を右手に、海岸からすぐに急崖を為している山々を左手に見ながら走り、館山の少し先で進路を東に変える。房総半島最南端は白浜町だが、内房線は白浜を通らず、館山市と千倉町の北端を通って太平洋側に出る。千倉海岸、和田浦、江見海岸、太美海岸といった、名高いビーチの続く海岸線を走って、列車の終点であり内房線の終点である安房鴨川に着いた……とは書いているものの、僕はこの間、ずっと熟睡し続けていた。
安房鴨川では、本来なら30分の待ち時間で外房線の普通列車に乗る予定であった。しかし、僕の眠りは非常に深かったようで、起きたのは乗る予定だった12時58分の列車が疾うに出てしまった13時10分頃。乗ってきた列車は折り返し内房線の千葉行きとなるので、あと数分目覚めるのが遅かったら、来た道を引き返してしまうところだった。
気を取り直して、予定より1本遅い列車で旅程を再開する。勝浦までは、特急車輌に乗車した。と言うのも、この列車は勝浦から特急わかしおとして運転されるものが、安房鴨川−勝浦間は普通列車として走っているのである。そのまま乗っていても次なる目的地・東金線の起点である大網には着くのだが、青春18きっぷで乗っているだけに、特急に乗るには別料金が必要となるので勝浦にて下車する。隣のホームには、既に14時30分発の普通が停まっていたので、そのまま乗り換える。
大網からは東金線に入り、終着の大網から一旦佐倉に向かう。房総半島一周を銘打っているのだから当然調子に行かねばならないのだが、何故こんなルートを取るのかは、後で分かる。
佐倉から成田を経由して佐原に向かう辺りで日没を迎えた。通勤客でごった返す車内から印旛沼を埋め立てた田に落ちる夕陽を見た訳だが、これが意外にも美しかった。この夕陽を車内から眺めている人は、そういないのではないかと思う。皆、夕陽など気にする余裕も、またその気もない生活をしているのだろう。僕だって、普段はそういう生活をしているのだから。しかし旅に於いては、そんな何でもない光景に、一々目を向け、心洗われるものだ。
陽が落ちてしまうと、もう楽しみがない。外を見ても、住宅や街灯の明かりがぽつりぽつり見えるだけである。
鹿島神宮からは鹿島臨海鉄道の列車に乗り込む。とは言っても、鹿島臨海鉄道を乗破する訳ではない。この区間は少しく説明を要するので、ご辛抱願いたい。
僕の目標はあくまでも未成年で「JR」を完乗する事であり、私鉄や第三セクターなどは乗破対象としていない。而るに、今から乗るのが鹿島臨海鉄道の列車だというのは如何なる事かと言うと、これは、鹿島線の特異性に因る。
鹿島線は、成田線の香取駅から北に分岐する支線で、鹿島神宮駅はその北端から2駅目に当たり、北端が鹿島サッカースタジアムという駅になっているのだが、この駅が、サッカーの開業日にしか営業しないという変わり種の駅なのである。周囲には人家も少ないし、鉄道の需要は試合日のみなのだろうが、その為、サッカーの試合がない日にやって来た僕は、この駅で降りて引き返すという訳にはいかない。1駅区間の為に出直し、サッカーの試合がある日に再び訪ねて来るというのも大層な話である。かと言って、この区間に乗らなければ、「全線」完乗が成し遂げられなくなってしまう。
そこで、鹿島サッカースタジアムからさらに北へと線路が続く鹿島臨海鉄道に乗り、鹿島サッカースタジアム駅の2つ先にある長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅という長い名の駅まで行き、そこで反対方向への列車を待ち、鹿島神宮に戻って来るという案を立てたのであった。駅が営業していなくても、線路は続いている。その上を通過して乗破する、という手法に出たのである。
鹿島神宮を出た列車は、暫く走ると鹿島サッカースタジアムの巨大な影を右手に見ながら走る。ここで鹿島線乗破となったはずだが、駅は営業していないので電気などは消されており、いつ鹿島サッカースタジアム駅を通過したのかさえ分からなかった。
曖昧な感じがするが、ともかく鹿島臨海鉄道に入り、長者ヶ浜潮騒はまなす公園前で下車した。
この駅、実はそれまで日本一長い駅名だった、阿武隈急行の「やながわ希望の森公園前」駅を抜いたとして1990年11月18日の開業以来、その名を知られていたのであるが、特に私鉄の間で長い駅名日本一の座を賭けて、熾烈な(?)争いが起こり、早くも1992年4月1日には南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅にトップの座を奪われてしまったのである。しかも、その南阿蘇水の生まれる里白水高原も、昨年(2001年)に島根県を走る一畑電鉄の古江駅がルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅と改称され、文字数日本一の座を譲ったのだ(但し、音節数では未だ白水高原駅がトップ)。
そんな短い過去の栄光のある駅だが、周囲は田圃に囲まれており、こんな夜更けでは人気が全くない。間もなく水戸方面から大きな光が近付いてきて、僕は鹿島神宮行きに乗り込んだ。乗り込んだのは勿論、僕一人きりであった。
鹿島神宮で再び鹿島線に乗り換え、香取では銚子行きに乗り換えた。 |
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