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北への大志 短篇紀行文


 この旅は、2002年の9月8日から18日にかけて巡ったものである。

 毎度の事だが、僕は旅を「自分を見つめ直す機会」と捉えている。特に、僕が最も尊敬する旅人である松尾芭蕉は、彼の人生最大の旅である「おくのほそ道」に出る際、旅中の死も覚悟し、隅田川の畔にあった「芭蕉庵」を知人に譲り出発した。彼がここまで本気で旅を愛したのは、何故だったのだろう。

 つまり、旅とは、普段我々が経験する体験とは全く別なる物である、という事だと思う。娯楽やレクリエーションの類とは異なる、それらの数段上に君臨するのが「旅」だと思わずにはいられないのだ。
 今回は特に、実質10日間、10泊11日に亘る、今まで僕が経験してきた旅には類をみない長大なる旅である為、今までにない経験が出来るものと、期待して臨んだ。


 1日目 :   15時に出町柳発。この日は午前中バイト、昼日中にも用事があり、それを終えての出発となった。京都から青春18きっぷのみで東海道を上京。
 この切符はご承知の通り、快速と普通しか乗れない。しかし快速と普通なら、JR線を走る列車でさえあれば、全て乗車可能なのだ。 だから僕は、その性質を精一杯に引き出す為、新幹線は勿論、特急・急行の類も一切使わない。しかし最近は、要所に快速・新快速が走っているので、8時間あれば東京に着く。普通列車も速くなったものだ。
高崎から夜行快速ムーンライトえちご村上行きに乗り、車中泊。


 2日目 :   ムーンライトえちごでは熟睡。夜行列車の乗車回数は、つい先日にやっと二桁に達したところに過ぎないが、轍という名の最高の子守唄は、いつでも僕を素晴らしい夢の世界に導いてくれる。起きたら終点、新潟県の村上。ここから少し南に引き返し、坂町という所から、米坂線で米沢へ。ここで米沢牛使用の牛タン弁当を食す。さらに山形へ北上し、仙山線で仙台へ。途中、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅路で、「閑かさや 岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ、山寺こと立石寺を下から拝む。
 仙台からは仙石線。一旦あおば通駅に行ってから、石巻を目指す。途中で日本三景の松島を眺める。線路は海岸に程近い所を走っているのだ。松島海岸という駅もあり、降車する人も多い。

 石巻で、東京から来たという、トレッキングが趣味のおかーさんに出会う。「メカワに行きたい」と言うが、運転士さんも「?」顔。僕が「女川(おながわ)ですか?」と入って行って、ようやく解決。これが縁で、そのおかーさんと共に女川を巡る事に。女川では1時間余り、漁港や近くの海産物販売所に立ち寄ったりした後、再び石巻へ引き返し、小牛田で別れ、おかーさんは世田谷の家、僕はさらに北を目指す。
 このおかーさん、「大人の休日パス」という、60歳以上のみ使える切符で旅していた。3日間有効で¥16000ポッキリ。なのに新幹線も乗車可能。僕も使えるものなら使いたいくらい、非常に便利な切符である。宿に泊まるのは金が勿体ないので、3日連続日帰りするとの事。

 一ノ関から大船渡線に乗車。ここは、7月の七帝 (「旧七帝国大学対抗総合体育大会」水泳の部の略称。→七帝への旅) で仙台 (東北大のお膝元) に来た時、乗ったのだが、直前に東北を直撃した台風6号で路肩が崩れ、一部 (千厩−一ノ関) がバスでの代行運転になっていたのだった。それで乗破を妨げられた訳だが、今回、晴れて乗破と相成った。
 しかし、実は一ノ関で、僕は列車を一本逃してしまっていたのだった。原因は寝過ごし。これによって、本当はこの日中に釜石まで北上する予定が、その南方36kmに位置する(さかり)までしか北上出来ず。しかも、盛では、以前に何かの本で、鉄道官舎があり、一般人も宿泊可だと読んだ記憶があり、そうだと思っていたら、鉄道官舎は無くなっていた。駅で宿直の駅員さんは眠るが、一般人は到底、宿泊禁止。
 仕方なく、駅の真ん前で野宿。とは言っても、貴重品を大量に携帯している為、寝る訳にいかない。徹夜。Tシャツ3枚に長袖カッター2枚を重ね着にするが、まだ寒い。
 深夜2時に、パトカーに見付かり、職務質問されたが、人の良いおまわりさんと打ち解け、「なんなら、警察署に来る?ソファーくらいならあるけど。」とまで言ってもらったが、余計に人の手を煩わすのは嫌だから、謹んで断った。
「この辺には、変な人はいないと思うけど、もし何かあったらすぐに110番するようにね。」と温かい言葉を受けて別れた。
 実は野宿は3回目。
 1回目はこの春の卒業記念旅行の際、横浜にて。横浜駅は終日開いていると思ったら、どっこい、1時30分で閉め出され、襲われるのが怖くて、交番の横に一晩中立っていた。
 2回目はこの4日前、北への大志前談の1日目から2日目にかけて高崎にて。駅の自由通路で、通り過ぎる貨物列車や寝台列車を見ながら、夜明けを待った。


 3日目 :   そのまま、三陸海岸を北上する。三陸鉄道では、青春18きっぷ使用者には格安のフリーきっぷを発売しており、それを利用する。途中、白井海岸という山の中の小さな駅で下車し、海を見ながら宮古で買った「いちご弁当」を食す。これは、アワビとウニを煮た当地の伝統料理「いちご煮」が飯の上に載っているもの。美味。
 さらに北上し、八戸、野辺地を通り、一旦下北半島へ。左手に陸奥湾、右手に夕陽を受けて黄金に輝くススキや低木の草原を走る。 素晴らしい。因みにこの光景は、2002年冬の青春18きっぷチラシ背景に使われた。

 終点の大湊では、日本三大霊山の一つである恐山(おそれざん)を拝む。ちょうど、宵の明星と三日月が輝き、恐山のシルエットを浮かび上がらせていた。
 引き返し、青森からこの12月、東北新幹線八戸延伸に伴って消える快速「海峡」で渡道。渡道は実に6年振りの事だ。こちらも、この冬で消える、函館からの快速「ミッドナイト」で札幌を目指しつつ、車中泊した。


 4日目 :   先ず、我が出身地にも程近い奈良県吉野郡十津川村の住人が開拓したという、「新十津川村」を札沼線にて目指す。終点は何もない。駅の「旅の思い出ノート」に碓氷峠の夏参上、の痕跡を記す。
 続いて夕張で大炭田の跡が見事なスキーリゾートに生まれ変わった姿を見、帯広までの車中で十勝平野の雄大な景色を堪能し、帯広へ。折り返して富良野を経由し滝川へ向かい、夜行特急「オホーツク9号」で一路網走を目指す。
 補足。北海道の7日間は、特急・急行使用可能な「北海道フリーきっぷ」にて巡った為、殆どの移動を特急で行っている。


 5日目 :   起きたら網走。この旅の中ではたった一度だけ、雨が降っていた。冷たい雨の中、寝惚け眼で傘を差して駅の外に出、網走川の上から網走漁港を臨む。冬には流氷の為、砕氷船が活躍する事だろう。近くには流氷の天使・クリオネを人工飼育している水族館があるという。
 網走からはオホーツク海に沿って暫く進み、知床半島の付け根の辺りから南下。ここで、知床斜里(しれとこしゃり)から乗ってきた80歳くらいのおばあさんに声をかけられる。
 「この汽車は網走に行きますか?(本当はかなりの方言で話されましたが、標準語に訳しておきます)」
 「いえ、全く反対方向ですよ。(僕も、ポリシーとして関西弁しか話さず、この時もそうでしたが、やはり標準語に訳しておきます)」
 「はあ、反対方向…。(殆ど驚いていない)」
 しかし、ここは鉄ちゃんの腕が炸裂する。即、携帯しているJTB時刻表で網走行きの列車と途中で対向しないか探す。運良く、緑駅でちょうど対向するようだ。乗務員さんの許可を取り、おばあさん乗り換え作戦は予定通り緑駅にて敢行された。親切な運転士さんの協力で、無事乗り換え完了。僕も元の列車に乗り、おばあさんは網走へと無事に行けましたとさ。めでたしめでたし。

 さて、釧路を目指す。1時間で旅行貯金 (旅先で郵便局を回り、貯金して回る事) 6局。駅で、無料レンタサイクルを見つけた為だ。北海道には多い。
 駅へ戻り、今日のメインイベント、「釧路湿原ノロッコ号」乗車。ノロッコとは、ノロノロトロッコの略だ。表定速度 (平均速度の鉄道用語) 30km/hという、日本一の遅さで釧路湿原を走る。眺望の良い車内からは、広大なサバンナ風景が望める。

 塘路(とうろ)駅には広い柵で囲まれた中にエゾジカが飼育されていて、観光客から草をもらっては貪り食っていた。地元である奈良公園の鹿は、観光客にどっさり鹿せんべいをもらっているのでいつも腹一杯で愛想がないが、此処の鹿は良くなついているし、愛想も良い。

 同じノロッコ号で引き返し、釧路湿原駅下車。細岡展望台、通称大観峰(だいかんぼう)から釧路湿原を200°以上の展望で眺める。カメラがオートフォーカスではピントを合わせられない。人間も、入ってくる情報量が多すぎて、何処を見たら良いのか分からない。1時間半も、此処で僕は佇んでいた。
 僕にとっての人生を考えられる場所。釧路湿原大観峰にて、僕は初めてそんな場所を発見した気がした。
 釧路に戻り、次は厚岸(あっけし)へ。厚岸と言えば牡蠣!!!駅からも見える「厚岸味覚ターミナル コンキリエ」にて、厚岸産の牡蠣で作られた酢牡蠣に牡蠣五目丼。値は張ったが、堪らなく美味い夕食であった。
 根室では日本最東端の駅、東根室駅踏破。この夜は寝台特急「まりも」にて車中泊。


 6日目 :   朝は札幌市の地下鉄を全線完乗。8時32分発の「SLニセコ号」に乗車する。
 実際の営業路線を走るSLに乗車するのは初めて。煤煙の匂い、頭の毛に降りかかる煤の粉、もう、堪りません。こうして現在も蒸気機関車の牽く旧型客車に乗れる事に感謝感謝。
 倶知安(くっちゃん)で下車、羊蹄山(ようていざん)を臨む。帰りもSLニセコ号に乗車。倶知安では給水を行い、車内ではピアノ演奏も。また、この日はたまたま、40年間SLの運転一筋に生きてきた運転士、池野健司さんの引退運転の日で、札幌車掌区SLチームからの表彰状の贈呈や、親族との記念撮影など、セレモニーが行われていた。
 札幌到着後、プレゼントの抽選があったが、運の悪い僕は、一つも当たりませんでした。

 夜は薄野(すすきの)へ繰り出し (変な意味じゃないですよ)、ラーメン横町でホタテラーメン大盛り。実に美味かった。
 23時ちょうど発の夜行寝台特急「利尻」にて車中泊。


 7日目 :   朝から絶景を拝む。宗谷本線南稚内−抜海(ばっかい)間だ。海岸から一気に立ち上がった海食崖(かいしょくがい)の上を、線路は走る。そして、水平線の向こうに浮かぶは利尻島!海から突き出た青い利尻富士が、見事に見える。晴れ渡った晩夏の宗谷に、見事な絶景!あまりの美しさに、同じ所を2往復しました。

 引き返し、今度は最南端、襟裳(えりも)岬を目指す (実際は函館の方が南ですが)。広大な草原にサラブレッドが放牧された日高を、単行のディーゼル「優駿浪漫(ゆうしゅんろまん)」は南へ南へひた走る。

 途中で夕陽を迎え、太平洋に沈む夕陽を眺める。非常に美しい。凪いだ太平洋に暮れゆく夕陽。鉄道の車窓からこの景色を拝める事が、北海道の醍醐味である。それにしても、ずっと海辺を走る。所々、海に注ぎ込む小さな川をガーダー橋で渡るのが印象深い。思わず、途中下車して写真を撮りたくなった。
 様似(さまに)までしか鉄道は通っておらず、日高本線は盲腸線になっているので引き返す。苫小牧からは寝台急行「はまなす」。車中泊で青森を目指す。


 8日目 :   一旦本州側に帰ってきた。しかし、これは津軽線に乗っておきたいだけの為で、 津軽線の終点である三厩(みんまや)を乗破の後、速攻で引き返した。
 知内(しりうち)で途中下車。ここは、青函トンネルの出口 (入口は本州側) に一番近い駅。また、北島三郎の実家から徒歩数分である。ここでは、駅が道の駅になっていて、活気溢れていた。しかし、駅舎であるはずの建物なのに、どこを探しても「知内駅」の文字が見あたらなかったのが、あまりにも悲しかった。「道の駅」であるだけでなく、「鉄道の駅」でもあるのに。というより、こっちが本業でしょ???
 木古内(きこない)から江差線に乗り換え。江差では、5日目以来の風呂…というか、水浴びと言った方がかなり適当。まだ水は温かく、波も穏やかだったので、海で泳ぐ。すぐ側に、『密漁は犯罪です』というような内容の事が書かれた看板が。まさか密漁者と間違われる事はないだろうが、辺りに気を配りつつ、久し振りの風呂を楽しむ。実にサッパリした。しかし、淡水は何処にも無いので、潮の香りのするまま、帰りの列車に乗車。傍迷惑だっただろうか……。

 函館の夕暮れを堪能しつつ、函館市電完乗。
 この日は、札幌まで小樽経由で行った後、再びラーメン横町でキムチラーメン大盛。しかしこの時点で既に1時を回っていた。何せ、山線の終電で札幌に着いたから、その時既に夜行は出てしまっており、どうしようもない状態だったのだ。やはり野宿。また野宿。やっぱり野宿。
 僕が野宿場所に選んだのはテレビ塔の真下。すぐ横にあるNHK札幌放送局の屋上のデジタル温度計が、夜が更けるにつれどんどん下がっていく。夜半にはまだ13℃あった気温が、夜明け前にはとうとう余裕で一桁に達する。長袖カッター4枚を無理から着て、いんぐりまんぐりしながらこの寒さに挑んだが、それでも本当に耐えきれない寒さだった。北国の寒さをナメたらあかんね。


 9日目 :   2002年9月、北海道は「ごちパラキャンペーン」中。「北海道の大地にごちそうさま」、そして「新体験パラダイス」、の略らしい。その一環としてJR北海道が走らせている特急「ごちパラオホーツク号」で旭川へ。車輌自体もJR北海道が誇るジョイフルトレイン「クリスタルエクスプレス」を使用している為、鉄道ファンには非常に嬉しい企画であった。
 そこから富良野へ。美瑛(びえい)にも立ち寄り、旭川の駅弁「蝦夷(えぞ)わっぱ」を食しつつ草原・丘の街を堪能した。
 美馬牛(びばうし)−美瑛間には、碓氷峠が廃止されて以来、JR最急勾配となっている40‰の勾配区間がある。後かぶりしていたが、ホント、迫力なら碓氷峠に負けないくらいのものであった。

美馬牛の塔も、車窓に見る事が出来る。帰りはSLふらの・びえい号。十勝連峰の山々が、パッチワークになったの丘の向こうに望まれた。今回は、何とかプレゼント商品をゲット。京都の部屋に飾ってあります。
 留萌本線を制覇した後、また「オホーツク9号」にて車中泊。


 10日目 :   北海道一の厳寒地域を通る、北海道ちほく (池北) 高原鉄道に乗車。池田では「十勝牛ステーキ弁当」に舌鼓。帯広では六花亭(ろっかてい)のチョコレートを入荷。しかし、あまりの美味しさに、京都に着くまでに皆食ってしまった。
 特急を乗り継いで、室蘭にて北海道のJR全線を乗破。しかし、その余韻に浸る暇もなくすぐさま東室蘭に舞い戻り、寝台特急「トワイライトエクスプレス」で帰る事となった。
 僕は最も安い「4人用Bコンパートメント」の乗客だが、食堂車でビデオを撮っていた僕に、通りすがりの車掌さんが「スイート撮る?」と訊いてくれ、何と、この列車に2部屋しか無い、スイートルームに入らせてもらう。
 この部屋 (2号車3番) は、最後尾の展望ルームではないが、窓が天井にかかるくらい大きいのを売り物の一つとしていて、冷蔵庫・風呂・トイレ・テレビなどを装備し、一流のホテルの設備にもにも引けを取らない。しかもこの部屋は、日本の寝台車で唯一 、ユニットバスではない、つまりバスルームとトイレが別になった部屋なのだ。最高の体験でした。車掌さん、その節はありがとうございました。

 食堂車では、夕食はフランス料理のフルコース¥12000か、日本海懐石御膳¥5500しか無く、財政的に僕は無理。その後のパブタイムで、イイダコのトマト煮とリゾットコロッケを食した。いつもの事ながら、僕はおじさん・おばさんに非常に受けが良い。吉本ばなな先生の「TUGUMI」に出て来る、生意気な少女つぐみの言葉を借りれば、「ばばあに持てるタイプ」だ。この夜も例に漏れず。近くの中年の夫婦に、ふとした事で気に入られ、パブまでご馳走になる。ま、少しですけど。

 夜はサロンデュノールにて、深夜に及んで旅人達と土産話に花を咲かせた。一人旅の者もいれば、家族連れもいる (但し、その人以外の家族は当然もう寝ている)。関西弁もいれば標準語もいるし、北海道や東北訛りもいる。これから旅に出るものもいれば、これで家路につく者もいる。鉄道ファンもいれば、フルムーンの夫婦もいるし、物好きな中学生もいる。しかし、旅はそんな、全く異なる種類の人々を結びつける。時々車掌さんも輪の中に入り、語る語る。寝台に入ったのは2時過ぎである。


 11日目 :   4人用寝台なので、同席した人とはカーテン1枚の仕切。僕の寝台は、下二つが埋まっていた。僕ともうお一人は60過ぎの女性。北海道の息子の所へ、1ヶ月程行っていた帰りという。すっかり昨日から打ち解けて、お菓子をご馳走にまでなっていたので、一枚残っていた最後の六花亭チョコレートをプレゼントした。
 敦賀を出て、しばらくの所にあるループ線では、列車が急な坂道を上るのを避けて、ぐるっと一周円を描いて上る仕組みを、始めに右手に見えていた敦賀の街並みが、しばらくすると左の窓から見える事から説明したりした。
 名残を惜しみつつ、大阪まで行くその方とは京都でお別れ。僕は、何度見ても「大きいなぁ」と思う京都駅ビルを後目(しりめ)に、東福寺を経由して出町柳に戻る。実に久し振りの鴨川、百万遍、そして我が家。


 238時間、丸10日で、162488歩を歩き、11個の駅弁を食べ、鉄道による総移動距離は9226.5kmに達したこの旅、あまりに長すぎて、碓氷峠の夏が手書きで綴っている旅日記が、大学ノート30ページを軽く越えました。勿論、日記本文の正味の長さであり、各駅で押したスタンプのページや、行程表のページも考慮すると、40ページを遥か上回っております。

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背景 : 北海道フリーきっぷ
      関西在住の僕は、前談で関東に行った際、
      この切符を入手しました。





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